《恐いもの いないという人 恐い人》

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 小1時間ほどの残業で帰宅が遅くなった連れ合いをバス停まで出迎えに行きます。買い物の荷物があるので,運ぶためです。バスの到着までの待ち時間に,ふと頭上を仰ぐと黒雲が立ちこめています。
 雲は水滴ですから無色のはずです。飛行機の窓から見る眼下の雲はまぶしく輝いていますが,高度が下がって雲の下に入ると黒い雲になります。日光が当たらないと暗くなるせいです。
 恋している目は異性をまぶしく見つめます。憎む目は相手を陰気ににらみます。目の光によって何の色にも染まっていない対象が明暗逆に見えることがあります。疲れていると相手のちょっとしたことが悪意に感じられます。弱っているとき優しくされると下心を探ります。
 どんなときでも「心にはいつも太陽を」持っていた方がいいでしょう。人が信じられなくなったときは,自分の目に光が失われたためで,相手のせいではないかもしれないと考えてみることです。
 そうは言っても,最近の事態は恐ろしい段階に至っています。人の気持ちがさんざめく程度ならいいのですが,荒れ狂っているようです。ストーカーやドメスティックバイオレンスという悪行も取りざたされています。
 これまでの人生の中でそのような行動を思いつくことが皆無であったので,その心情は全く理解できません。人を人とも思っていません。八つ当たりされる茶わんと同じです。幼稚であると言ってしまえばそれまでですが,育てた親,育てつつある親にとってはそれでは済まされません。
 いったい何を忘れてきたのでしょうか。地震・雷・火事・オヤジと言われた恐いものがいなくなりました。オヤジ狩りに沈められ,最多の火事原因は付け火になり,都市化による町並みは人の頭上に被さり雷を遠ざけています。かろうじて地震だけが恐いものとして孤高を保っています。
 人は恐いものを失ったとき,暴君となる弱点を露呈するものです。
 科学の進展とは神の見えない手を人間世界から放逐することでした。限りなくあらゆる歯止めを解き放つことが善であるという暴走のすすめが,人の心までも犯すようになりました。
 時代の風の子である子どもたちは,恐いものがなくなったという追い風にあおられ不幸の色に染まっています。恐いものとは,社会の法による報復もありますが,自分の心の中に持つ悪行への恐れが根元的です。
 風よりも太陽を子どもに・・・。

(2000年09月24日号:No.25)