《暮らしには 季節の流れ 陰にあり》

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 新年が始まって普段のペースに戻ってきたのですが,世間的には年度末に向けて物事が動いていきます。気分は新たになったのに,実際にやっていることは後始末に向かうことという奇妙な状態です。お陰で新年の気分はいつの間にかどこかに置いてけぼりになってしまいます。年と年度の違いに振り回されているのですが,その元は太陽の運行と地球気象の間にあるタイムラグです。年賀状に新春という言葉を記すときなんとなく違和感がありますが,それには訳があります。
 観測される太陽の動きは日照時間の変化をもたらします。春分・秋分の日は昼夜の時間が同じですが,夏至は昼の時間が,冬至は夜の時間が最も長くなる日です。年末に向かって昼の時間,太陽の出ている時間が減っていき,冬至の時に最も短くなります。冬至を過ぎると,昼の時間が長くなっていきます。そこで,冬至を過ぎる時を太陽の勢いがますます盛んになっていく端緒と考えて新年の始めとされました。これが太陽暦です。
 ところが,地球は大きいので,日照時間が延びてきても暖まるのに時間が掛かってしまいます。ぽかぽかとした気温になるまでには数ヶ月かかります。冬が終わって春になるという気候の変化は,太陽の運航からずれてしまうのです。人の暮らしは気候に直結しているので,春夏秋冬という区切りに添って,年度が採用されています。春から一年が始まるというのが,暮らしの暦になっているのです。
 もっとも,寒い冬の入口になっている新年は,ゆっくり休んで英気を養う期間と考えれば,それなりに暮らしのペースに嵌り込んでいると思われます。細かなことなどは詮索せずに,季節の行事として素直に乗っていけばいいのでしょう。無理なものであれば,いつまでも残っているはずがないからです。いろいろな年中行事がありますが,時代の暮らしに合わせて変化されてくることもあります。
 ところで,お盆は仏様をお迎えする行事として定着していますが,お正月は何をする行事なのでしょうか? すっかり忘れられています。しめ縄や門松の意味が曖昧になっています。お正月の楊箸の使い方も間違っています。30〜50回忌までの仏様がお盆に,それ以上前の仏様はご先祖様という神様になってお正月に帰宅されます。不浄を払った神聖な場所の証としてしめ縄が,神様が下ってこられる拠り所として門松が飾られます。両方を削ってある楊箸は一方で食事をすると,反対側は神様が同時に食事をするという意味があります。取り箸として逆にして勝手に使ってはいけないのです。ご存じなかったら,来年のお正月まで覚えておいてください。ただのお休みではないのですから。

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(2005年01月16日号:No.251)