《人の世は とどのつまりが 運任せ》

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 今年のお正月,連れ合いが福袋を買いに出かけました。天神町まで車で送っていきましたが,渋滞に巻き込まれてしまいました。目的のデパート前に届きそうもないので,かなり手前から連れ合いは降りて歩いていきました。出かけた時間が遅かったために,お目当ての福袋は売り切れていたそうです。それでも,別のデパートでしっかりと大きな福袋を買ってきました。帰りはバスでしたが,待ち時間の関係で系統の違うバスに乗ってきたので,途中のバス停までお出迎えでした。
 久しぶりの福袋の旅を語ってくれます。お目当ての福袋には整理券が配られたこと,あちこちの福袋を幾つも両手に抱えている人がいること,福袋を手当たり次第に開封して選びまくっている人,目にした人間模様を並べてくれます。ひところは,一般の福袋は売れ残りの再販という風評があって,当たりはずれがひどいというイメージがあったようです。最近は,信用を失うと客足が遠のくという学習効果から,いい品を揃えてお買い得という線は守られているようです。
 ただ,モノには人の好みという尺度がかかわってきて,いわゆる欲しいものという価値が十人十色になります。いい品でも好きではないということもあり得ます。お買い物は品選びが大事ですが,福袋はその選択をお任せにしています。どんなものが手元に届くかというワクワクした期待と不安が,福袋の真髄です。中味が見えないと不安になるという気持ちは分かりますが,運を天に任せるということを楽しむのが,お正月に相応しい買い物の仕方でしょう。中味が見える福袋,勝手に開けて確かめる福袋,それは既に福袋の資格を奪われています。
 連れ合いの福袋には,いい品が入っており,好みの幅にも適っていたようで,喜んでいました。ささやかな福袋を楽しんでくれている連れ合いに,贅沢をさせてやれない不甲斐なさを慰められています。夫婦というのも,いくぶん福袋に似ているところがあります。開けてみなければではなく,連れ添ってみなければ分かりません。見た目で選んでいますが,相性は触れ合わないと分かりません。神や仏に添い遂げることを誓わなければならないということは,それだけ結びつきが弱いということなのかもしれません。銀婚式,金婚式という節目の祝いも,運が良ければという福引きの目出度さに重なっています。
 人の世のあれこれには,どこかに福袋と同じ運任せの部分があります。頼りないことですが,そこに救いもあります。すべてが自分の責任ではないということです。ベストではなかったときに,何がいけなかったかと自分を責めることがありますが,運任せであると考えれば悩まなくて済みます。運が悪いというのはしゃくではありますが,神様のせいにできるところが助かります。連れ添う相手として,お互いにどんな福袋を掴まされたか,ゆっくりと確かめていくことにしましょう。

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(2005年01月30日号:No.253)