《思いやり 届ける道を 拓けたら》

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 お年寄りがひっそりと暮らしています。弱った身体をお互いにかばい合いながら,慎ましく暮らしています。子どもたちは遠く離れた地に住んでおり,傍に寄り添うことができません。親は親,子どもは子どもで,別天地に根を下ろしています。家は代替わりをしなくなりました。親がいなくなっても,その家を引き継いで暮らす跡継ぎはいないのです。地域の新陳代謝が滞っているので,寂れていくばかりです。大規模なマンション群ができて新しい地域も誕生しますが,その家は一代限りであり,子どもたちが巣立っていった後には,高齢者地域になっていきます。
 長寿社会は必然的に福祉社会になります。手を借りたい人が増えてきますが,手を貸すはずの子どもたちは傍にはいません。都会周辺では,高齢者と若者が持ち家と賃貸住宅に住み分けています。若者の親はふるさとに置き去りになっており,近くの高齢者は他人です。親は長寿ということから若者の世話を受けなくてもなんとか暮らしているということで,若者は親の面倒から解放されています。いつまでもそれが続くかのような安易さに流されています。
 親が面倒をみて欲しいという状況になったとき,子どもたちは自分の暮らしと我が子の育ちのために身動きできません。傍にいればなんとかなるのですが,距離的に離れていれば気持ちはあっても現実は難しいということに追い込まれます。世代間の社会構造がこのようになっていくと,苦肉の策が生まれてきます。都会に住む若者は近所の高齢者に手を貸し,一方で田舎に住む親は近所の若者に手を貸してもらうという方法です。自分の周りでできる福祉活動を交換し合おうということです。実際にいくつかのところで実践されている例が報道されていました。
 福祉は互助により成り立ちますが,互換性という機能を持ち込まなければなりません。互換性ができあがらないと,行政や企業による福祉だけが残り,必然的に金銭による福祉になり,高額な出費を招きます。これが福祉における現在の最大の課題を生み出しているのです。互換性には二つのことが可能です。一つは子どもの福祉活動が親への福祉に転化されるということ,もう一つは自分の福祉活動が自分の将来の福祉支援に還元されるということです。福祉の理念からすれば多少邪道の色が付いているように感じられますが,福祉のシステムとして明るく機能させていけば,十分認知されることでしょう。福祉関係の指導者は,福祉システムの広域構築という新しい課題に取り組む時期なのです。

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(2005年02月06日号:No.254)