家庭の窓
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時間は無情に過ぎていきます。一日,一ヶ月,一年という年月の過ぎるのは早いものと感じられます。子ども時代はあっという間に過ぎて,いつの間にか齢を重ねています。主観的な時間として,例えば一日は毎日繰り返してやってきますが,実は暦日で示されるように日々が違って過ぎていきます。限りある一人分の時間を,どのように過ごすかは,生き甲斐にもつながっていく大事なことです。
最も基本的なことは,今をどのように過ごすかということです。そのことを意識するためには,今日一日何ができたかという反省をすることです。もちろん何もしないということでも,休養という意味があればよいのです。なんとなく過ぎて,意味が見つけられない過ごし方は,たまにはいいのですが,もったいないことになります。ところで,人は何事かに熱中するのに助走が必要です。機械のスイッチの切り替えのように,パッとモードが替わるわけではありません。
特に考え事をするときなど,集中するまでにかなりの時間がかかります。暮らしの雑用に忙しくしていると,決まり切った作業はできますが,複雑なことや新しいことなどはできません。ゆっくりと落ち着いた雰囲気が必要ということになります。細切れの時間をつないでも,まとまった時間とはならないのです。当然逆の場合も起こります。天才たちのエピソードでは,常識はずれの行動や幼稚なヘマをすることなどが語られるのも,思考回路が特別な動作状態に入っているときは,環境入力に適合できないことを示しています。簡単にコロコロと変化はできません。
所用が入っているとき,それがほんの短時間であっても,ペースの乱れは前後で起こります。ある思考モードに入ろうとしても,時間制限を気にするという邪魔が入ります。思考は急には止まらないのです。何かしらのまとまった文章を書こうという場合にも,一気呵成に書き上げる方がよいものが書けます。思考は連想の連続です。滑らかに連想が進めば,論理が明瞭に組み上がります。ぶつぶつに切れると,無理な飛躍が紛れ込んで,全体として意味不明ということになりかねません。
暮らしのあれこれでも大小の決断が求められます。寒い朝に夜具から離れる時間を見計らって決断しなければなりません。食事のメニューを数日の流れの中で決断します。些細なことであっても,行き当たりばったりというわけにはいきません。仕事上のことであれば,関連することも広く,考えることは多岐にわたります。慌てて決めるとどこかに落ちが出てくるものです。そして,落ち着くにはやはりそれなりの時間が必要になります。
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