《生きものを 傍に感じる 里暮らし》

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 窓の向こうにあるブロック塀の上を白猫が歩いていきます。どこの猫か名前も知らない猫です。毎日のテリトリー順路になっているようです。猫にとっては,よその敷地ということは全く関係のないことです。特に支障がなければ見て見ぬ振りをしておけばいいのですが,連れ合いは汚されはしないかということだけを気にしています。ときどき声を掛けて脅かしてやりますが,慌てて離れたところまで行くと振り返って,ジーッとこちらの出方をうかがっています。太めの体型のせいか,ふてぶてしい態度に見えます。にらめっこを楽しんでいます。
 冬に入る前には,稲刈りの後に伸びた稲の穂にスズメが群がっていましたが,田圃に飛び込む前の様子伺いの場として,我が家の屋根に集合していました。人のうちの屋根に断りもなく留まってくれます。田圃と屋根の往復を繰り返して,食事を楽しんでいました。その様子を短い稲穂の中に潜んでじっと見ていたのが,白猫でした。その後の結末については見届けてはいませんが,スズメたちの警戒心のほうが勝っているようでした。
 人は地球の表面に線引きをして,勝手に私有を許しています。人間だけのものではないのに。そこで,ここの土地は私のものという排他性は,他の人間との間にしか効力を持ちません。人間以外の生きものに対しては,全く意味が無く無効です。ところが,飼い犬や飼い猫,人が植えた樹木や草花になると,所有権が発生する関係から,犬猫による侵入行為として意味が発生することになります。公道を散歩するのは構わないとしても,汚すことは許されないという使用条件が課せられています。
 昨年は熊が人里に現れるというアクシデントがありました。動物の住処に侵入した人間のほうが先に仕掛けた結果という指摘もありました。誰のものでもない地表を,人は開拓という名の下に人の世界に改変していきました。その結果として,動物は厳しい環境である山奥に追い立てられて,気候の不順のせいで山の実りが足りず,生きるために仕方なくはみ出してきたようです。熊にすれば自分の生き方を貫いているだけなのですが,人にとってはきわめて迷惑になるという悲劇です。
 山里では猪やタヌキといった動物との出会いが茶飯事のようです。お互いにそれとなく付き合っていけるといいのですが,動物には人のルールが通用しないので,荒らされるという仕儀になります。でも,動物は自分の食べる分だけという自然なルールを持っています。それが救いであり,仕方ないかという許しを誘い出します。ところで昨年は,果物やお米などの盗みという人間による犯行が現れました。ごっそりという持ち逃げは,動物にも劣る破廉恥さです。金儲けという欲が,人を変えてしまうようです。動物との共生は,少しばかり意思の疎通が困難ですが,避けていてはいけないようです。

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(2005年02月20日号:No.256)