《正論を 持ち出し責める 嫌がらせ》

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 モラルハラスメントという言葉があります。職場や家庭で起こる心理的な暴力で,しつこい叱責や,相手の人格を否定する言動を繰り返し加えることです。小さな行為ですが継続されると,被害者はハラスメントという認識が乏しく,逆に罪悪感にとらわれ鬱病などに陥ることが多いそうです。もちろん,加害者の方は自覚がなく,自分の価値観を絶対視する傾向が強いようです。
 セクシャルハラスメントは性的な関係を強要するものであり,パワーハラスメントは職権を利用して理不尽な要求をするものです。モラルハラスメントは小さなミスや手違いなどを取り上げてしつこく責めるものです。加害者は正当なモラルに則って責めてくるので,反論のしようがないという立場に追いつめられます。ミスを注意するのであればいいのですが,人格の否定までにエスカレートするから困ります。
 分を弁えていない,無責任である,いい加減な仕事しかしない,何にも分かってないんじゃない,といった人格を否定する言葉は,結構どこでも聞かれます。多くの場合は陰口ですが,時折あからさまに聞こえよがしに囁かれることがあります。モラルを楯にしているので,間違ったことは言っていない,相手は言われて当然だと思っています。さらに,正しいことをしているという気持ちが,相手の人格否定をしてもいいと錯覚させていきます。怖いことです。
 吉良上野介が浅野内匠頭に対して数々の嫌がらせをしたのも,自分が役目上の指導せずに無知な田舎侍と人格否定をすることでした。内匠頭は知らない自分がいけないと追いつめられた挙げ句に,我慢の限度を越えて松の廊下での刃傷沙汰に及びました。このような巷間に流布している忠臣蔵の上野介を意地悪じいさんと知っていながら,実際には自分も同じことをしていることに気付かないのは愚かです。
 人の失敗やミスをことさらに言挙げし笑いものにするのも,同類です。ちゃんとできないことがあっても,それは人格とは切り離して考えなければなりません。人のプライドを傷つける言動は,根源的なモラル破壊です。モラルとは人が温かく共生するためにあるものです。モラルを責め道具に使うのは邪道です。
 確かに社会生活上最も大事な信頼は,たった一つのミスを犯したために瓦解することがあります。その厳しさが逆にミスを犯したことを過大に評価する傾向を生み出します。しかし,実際上では評価は0か1かではなくて,大小という連続的なものです。ちょっとしたミスは誰でも日常茶飯事なはずです。それを許容しお互いにカバーしようとしないことの方がおかしいのです。
 モラルハラスメントが珍しくなくなったのは,ギスギスした緊張関係が普通になってきたということを示しています。もっとゆったりとした気持ちを持つように努力しないと,そこここでミニ忠臣蔵を再現することになります。

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(2005年03月06日号:No.258)