《正論を 持ち出し世間が 狭くなり》

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 日々の暮らしの中で,どれほど正論が通っているのでしょうか? 真っ当に生きることと正論に則った言動とはぴったり重ならないものなのでしょうか? おかしなことが結構頻繁に身近で起こります。車が見えないと赤信号を渡っていく人。赤信号に変わったのにつっこんでくるドライバー。運転中に携帯電話を使っている運転手。これらは交通法規という正論を曲げている人です。
 ご多幸を祈ると書いて祈らない。そんな川柳がありました。近くにお出での節は是非お立ち寄り下さい。そんな心にもない通知状があります。結婚できる若者は秀才と才媛ばかりです。本人が片腹痛いことでしょう。そんな風に言わなければならないというマナー上の正論です。日常会話にちりばめられているお世辞も同類です。かわいいお子さんですね,本当にお若いこと,素敵な趣味ですね,そう言われている方の人は自分ではそう思っていないと装わなければなりません。
 社会生活上では,あらゆる場面でこうした方がいいという正論があります。それはべき論にもなります。図書館で借りた本はきれいなまま返却すべし。ゴミ出しはきちんと分別すべし。人に出会ったらちゃんとあいさつすべし。勤務時間中は私用電話は控えるべし。どうしても正論は面倒くさくて不自由なものです。できることなら,ごめん蒙りたいと思います。余計なことはしない方が楽です。べきべきと言われるとへきえきします。ちょっとぐらいならと,道を踏み越すものです。
 スーパーで連れあいが追加の買い物に寄り道をしている間に,先に乗った車中で待っているときです。買い物を終えた一人の婦人が,買い物袋を積み込むために目の前に駐車している車のトランクを開けました。そこには既にスーパーの買い物カゴが二つ置いてあり,袋をそのカゴの中に入れ込んでいます。持ってきたカートに載っているカゴと同じカゴです。車の中で荷物が転げないように,予め積み込んでいたようです。そのままカゴもろとも駐車場から出て行きました。
 そのご婦人は正当なルートで手に入れているのかもしれません。もしそうなら,無断借用と思ったことは,人を見たら泥棒と思えという目であったことを反省しなければなりません。ところで,無断借用と見たら,次にはうまいことをしていると考えるかもしれません。さらには,たくさんあるカゴの一つや二つ,お客だから長期借用していてもいいだろう,自分だけじゃない,そんな自分向けの正論を作り上げることもできます。自分もそうしようと。でも,そこまでする人はいないでしょう。
 ああ言えばこう言う。複数の正論があるということです。立場毎に正論があり,議論が生まれます。どちらの言い分が正しいかを判断しなければなりません。一つの方法は,より広い視野で見るということです。自分だけの正論は人には通用しません。仲間内の正論は社会に通用しないこともあります。会社の正論は一般社会に受け入れがたいこともあります。日本の正論は世界の正論とは違っていることになります。今どこにいるか,自分の立場を弁えることが大事です。

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(2005年03月20日号:No.260)