《天災は 思いもしない ところにも》

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 ある団体の総会に来賓と出席していたときです。議事が滞りなく終わりに近づいてきたとき,身体がグラグラと揺れるのを不思議な感じで受け止めました。何が起こったのかすぐには判断できませんでした。建物が大きく揺れているのを視界に捉え,並んでいる椅子が左右に動いているのを確認したとき,地震という言葉が浮かんできました。崩れてきたらどのような行動をすればいいのか,そんなことを考えようとしましたが,状況が読み込めないままで停止していました。ほんの数秒の呆然とした状態の後,揺れは収まりました。議事は中断し,連絡のために大半の人が室外に出て行きました。
 携帯電話は通じません。公衆電話の前は長い列です。外に出て近隣の建物を見渡すと,どこにも被害らしい様子は見えません。取りあえずは大丈夫そうだと一安心している人,心配だからと帰路につく人,連絡を取り続ける人,そんな中で,総会を早く終わらせようと,総会後に予定されていた活動発表は中止され,早く切り上げられました。連れ合いは役員になっていたので,後片づけをバタバタと済ませ,一緒に帰宅しました。
 家は無事に建っているか,帰りの道筋では壊れた家は見えなかったのですが,わが家だけ壊れていないかと心配でした。幸い,本棚の中に飾っていたこけしなどが転げ落ちている程度で,どうということはありませんでした。タンスの引き出しが開いたそうですが,それだけのことでした。テレビをつけて見ると,被害を受けたところもあったようです。3月20日,午前10時53分,福岡西方沖地震はM7.0で,福岡市に隣接するわが町は震度5強というランクでした。
 時間が経過するにつれて,被害状況は拡大していきました。その間,身体に感じる余震が続き,そのたびにビクッとする怖さが繰り返します。姿の見えない不意の襲来は,本震で植え付けられた軽いトラウマを増幅する作用があります。普通の生活ペースに戻っても,ドンという揺れを感じる度に,不安が募ります。夜になると眠くなってきます。眠っている間に来たら,そう思い始めると,鼓動が高鳴ってきます。余震という不気味なものを体感させられましたが,寝てしまいました。
 数日間は,会う人毎に地震の話です。福岡という土地は固い岩盤の上にあるからという暗黙の了解がしみわたっていました。地震保険に加入している人も少なく,保険料も安く設定されてきました。今度のことで,考え直されるかもしれないと思いましたが,保険料は過去500年のデータに基づいているので,1回の発生では変わらないそうです。
 地震学者の方は,日本中どこでも地震は起こりうる,ただその頻度が違うだけというコメントをされていました。天災は忘れた頃にやって来るという言葉がありますが,覚えてもいない昔の前例を引き出されても,どうしようもありません。とはいえ,じっくりとデータを眺めると,日本中どこにでも大小の断層が走っていますし,海の中の様子はまだつかみ切れていません。断層があるということは過去に地震が起こったという証拠だと考えた方がよいのでしょう。災難とはよそ事ではありません。

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(2005年03月27日号:No.261)