《雑用を 任せていては 生きづらく》

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 これまで県内には97市町村がありました。平成の大合併によって,現在消える予定の市町村の数は22です。他県も合併が進んでいます。合併すると,首長の数が減少し,議員の数も現任期までは特例法によってそのままですが,その後は減ることになります。人件費の削減ができるというメリットの一つです。普通はそこまでの話です。密かに問題になっていることがあります。器が大きくなることは,薄まるということを考えなければなりません。
 役場が隣町の役場になる,文化祭の会場が隣町になるといった距離の延伸があります。お世話をする行政職員や各種の委員の人数が相対的に減らされて,きめの細かい対応ができなくなるということもあります。今までは同じ校区にいた世話人が,隣の校区の人になるといった疎遠さも出てきます。話題になっている議員さんも,今までは身近な人であったのが,合併後は見ず知らずの人を選ばなくてはなりません。いろんな施設や人が距離だけではなく心理的にも遠くなっていきます。
 いわゆる公的なサービスが薄まることになります。地方自治という流れは,住民自治というところまで突き進んできます。公的なサービスは手を引いていきますので,自分の手でやってくださいということです。民間に任せるという言い方は,自分たちのことは自分が責任を,自助努力を求めているのです。では,何が変わろうとしているのでしょうか? 人が生きていく上でやらなければならないことが二種類あります。一つは生産的な活動,もう一つは普通には雑用と呼ばれているものです。この雑用に当たる部分が公的なサービスの中心であり,負担増に耐えきれなくなってきたのです。
 雑用という意識が公的なサービスを受けて当然と考える根拠になっています。その現れが税金を納めているという物言いです。金を払っているのだからサービスを受けて当たり前という気持ちが強く働いています。一方で,公的なサービスをすればいいという気持ちが過剰なサービスを提供するという行き過ぎを生み,喧伝されているような無駄な施設をつくるという不始末に至っています。雑用を人任せにしてきたツケが貯まってしまって,どちらも動きが取れなくなったのです。
 人が生きていく上で必要なことは,自立ということです。それは生産的な仕事をしているということではありません。自分の雑用も引き受けてこその自立でなければなりません。共生という言葉がありますが,それは雑用を誰かにたらい回しをすることではありません。特に今は,福祉や教育を行政サービスに頼り切ってきた流れを変えることが,クローズアップされています。福祉や教育を自分の本務として取り戻すことが求められているのです。平成の大合併は,一人一人の暮らしに対する意識改革をもたらすことになるはずです。

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(2005年04月10日号:No.263)