《気楽さを 追い求めても がらんどう》

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 道沿いの田圃のあぜ道は緑一色に縁取られています。スズメたちがぴょんぴょんとはね回っています。朝の食事なのでしょう。スズメは一日に何度の食事をするのだろうといったことをぼんやりと考えています。どこにでも飛んでいって,タダで食事ができます。どこかの軒先を無断借用し,家賃も要りません。蓄えもなく,気ままな生き方です。お金がないと何もできない人間と違って,自助努力のお手本です。でも,スズメは何が楽しみなのでしょう?
 日中は働き,夜だけ安息するという人間の暮らしは,何のためでしょう。休みの日にはどこかに楽しみに出かけるとしても,人生のほとんどを働くことに費やしています。働いて造りあげるもの,それは人が生きる場である社会です。個人的には働いてお金を稼ぐことで自分が生きるという意味づけが普通ですが,逆に見れば個人が社会から生かされているということです。働くことで社会とつながっているわけです。働という漢字は人が動くと書きますが,人のそばで動くとも見ることができます。お互いがお互いのために力を出すことが働くという姿になります。
 こう考えてくると,働く場合の基本的なスタンスが見えてきます。自分の役割だけ果たしていればいいという働き方は,あまりに手前勝手ということになります。自分の働きが社会にきちんとつながるように,つまり周りの人と円滑な連携ができているかが大切な確認事項になります。人の生き甲斐は人間関係にあるという古来の通念をきちんと思い起こしておくべきでしょう。
 西洋社会の働くことが苦であるという考え方は,社会は個人から搾取するものであるという立場から生まれます。かつての日本では逆に,社会は人に恩恵を与えてくれるので,働くことが喜びであるという考え方でした。社会貢献といえば大仰ですが,社会の一員であることが喜びであるということです。
 ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ氏も注目する「もったいない」という言葉がありました。英語には翻訳できないということですが,社会を味方と考えるか敵と見るかの違いがあるので当然です。しかしながら,今この国では,もったいないという言葉は消え入りそうになっています。もったいないという言葉が生きていた頃には,環境問題はありませんでした。言葉を失ってから,環境破壊が進行しています。失ってはじめて,もったいないという言葉の大事さが気付かれたのです。
 人が生きるということをちょっと立ち止まって静かに考えてみる,そんなゆとりを取り戻してほしいものです。きっと素敵な生き方が見つかるはずです。

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(2005年04月17日号:No.264)