家庭の窓
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世間のあらゆるもめごとは,お互いの欲望充足の行動が衝突することです。簡単に言えば,奪い合うから争いが起こり,譲り合えば平穏にことが進みます。子どもにも理解できるほど簡単明瞭なことなのに,大人までもが実行できないでいます。主義や正義や信条を縦糸に,勢力や財産や名声を横糸に編まれている欲望模様は,喜怒哀楽の渦巻きが浮き上がった絢爛たる文様を描き出しています。もっと上手に世渡りができなものかと思いますが,どうすればいいのでしょう。
人は守るものが大きければ大きいほど,浅ましくなっていきます。国家を守るという大げさな大義は,戦も辞さないという無情な激昂を招きます。組織を守るという名分は,不正隠匿に目を瞑る体質硬化を来します。上品な佇まいが諍いを封じ込めてきたことを忘れ,下品な直情を素直さと曲解して我田引水を決め込んでいる醜態をさらします。一方で,家族の暮らしを守るというささやかな覚悟は,共生に向けた歯止めが掛かり,穏やかな暮らしを生み出します。
うまく立ち回って利害得失のバランスを儲ける方に無理矢理押し込もうとする気運が世情です。そのような動向自体は競争社会の宿命であり,進歩や発達の姿でもあるのですが,あくまでもフェアプレーが守られているという前提上のことです。往々にして,目的が正しければ手段を選ばないという考え方が出てきますが,その一線を何の躊躇もなく越えるのは危険です。手段を誤ると,それが引き起こすであろう災厄は,目的価値をはるかに越えた償いをもたらします。
小さな嘘を言い逃れようとして結果的に抜き差しならない事態に嵌り込んだり,ちょっとした遅れを取り戻そうと走りすぎて事故を起こしてしまったり,もう少し無理をしようとがんばって健康を害したり,抜け駆けを狙って足下を掬われたりします。手段の選び方が,もめ事の現場になります。手順の違い,やり方の違い,それ自体は大したことではないと思われがちですが,その気の緩みがトラブルの種を蒔くことになります。
お互いの顔を立てるという仲介が必要ですが,それは共に得るところがあるという共栄の原則です。それぞれの手段は最大の自己利益をもたらすように選択されているので,双方の手段の修正は利益の減殺を意味します。お互いが思惑から見れば痛み分けの形になりますが,現実にはそこそこの利益を分配できることになれば,受け入れ可能になります。そこを譲らないという欲深さが出たら,それはアンフェアになります。フェアとはほどほどにという意味であることを忘れないことが,穏やかに暮らすコツでしょう。
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