《生きものは 考える暇 あればこそ》

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 果報は寝て待て。待てば海路の日和あり。チャンスを待つ。行き詰まったときは,下手にもがかずにそのまま時期を待つという対応をします。場合によっては,出直すために撤退するという選択もあり得ます。この忙しい世の中で,待つ時間というのは,遅れるという不安と表裏一体です。それでも,最近スローライフが言われているのは,待つ時間に何か大事なものがあるということに気付いたからでしょう。人は無くしてみないと大切な価値が見えないもののようです。
 待つ間は無為に見えますが,無駄な時間ではありません。ぐつぐつと考えるときです。最近の論評として,若者が考えることをしていないという指摘が目に入ります。考えるためには立ち止まらなければなりません。後ろを振り返り前を確かめるという状況判断をするためには,ちょっと待てよという一旦停止が必要です。闇雲に行け行けと猪突猛進では危険です。社会を見渡すと,待つという時間を持とうとせずに,いきなり結論を求める性急さが蔓延っているようです。
 急いては事をし損じる。それは準備が完了していないからです。物事には段取りがあって,順序通りに支度がされているという前提で進んでいきます。例えば,材料が揃っていないと料理は出来ませんし,煮炊きの順序もあります。炊きあがるまでの待ち時間もあります。ところで,準備万端というのは普通には難しいことです。見落としや勘違いや不測の事態などが絡んできます。だからこそ,途中で一旦停止し,確認する時間が必要になるのです。
 共同作業の場合には,協議する会議の場が一旦停止の場になります。一人で突っ走ってしまうのではなく,これまでとこれからについて,衆議に諮ることによって,段取りを確認することが出来ます。協働行動に最も大事なことは,全体の流れを共通理解することであり,そのための情報公開です。独り占めされた情報は,歩調を乱し,ギクシャクした連携を生み出します。一旦停止の会議の中で,それぞれの持ち場の細かな手順を確認し合うことで,準備が進み,連携が円滑になります。
 情報社会といわれますが,その中で人に期待されることは,考えることです。情報は素材であり,処理されなければ,ただの文字列に過ぎません。意味を紡ぎ出す作業が考えることです。同じ情報を前にして,その処理能力如何で結果価値は左右されます。流れていく情報にブレ−キを掛けて,考える回路を働かせるための待ち時間を持つ勇気が,情報を生かす処方箋です。情報を受信してから情報を発信するまでの間には,考えるという待ち時間が入ります。待つことで,いろんな価値を生み出すことが可能になります。主体的に生きるペース,それは機械ペースに比べればスローペースなのです。

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(2005年05月29日号:No.270)