家庭の窓
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人の結びつきにはいくつかのパターンがあります。最も淡い結びつきは「なんとなく関係」です。偶然の出会いの中で,「感じのいい人だな」となんとなく気になる人がいます。ただそれだけです。袖振り合うも多生の縁という結びつきです。そんな人と出会うことの多い町が,心豊かなまちというものでしょう。
次が「何かが同じ関係」です。ご近所であるという地縁,あるいは趣味を通じて知り合う結びつきなどです。会員といった程度の緩やかな結束力が伴います。同級生とか同郷という縁もあります。何かが同じであるという共通点があるだけで,縁が結ばれます。コミュニティという結びつきになります。
さらには「お金が取り持つ関係」があります。収賄や贈賄といった汚れたイメージのものではなく,もっと普通の世間的な関係です。お店とお客はお金が結びます。会社とは給料で結びついています。金の切れ目が縁の切れ目になります。定年になればあっさり結びつきは切れます。OB会などという残り香にすがった結びつきも生まれますが,それは「何かが同じ関係」に転換されたものになります。多少変形した関係として「利害・損得関係」があります。
強い結びつきは「求め合う関係」です。端的にいえば惚れ合う,好き合う男女の関係です。友情という関係もこの分類に含まれます。ただしこの関係はお互いの思いこみによるものなので,いいときはいいのですが,こじれるとあっさりと壊れてしまいます。たで食う虫も好き好きというように,当事者以外には分からないこともあります。普通には割れ鍋に綴じ蓋といわれる形で,基本的には陰陽の結びつきです。ベターハーフとも語られるように,合体して一つになる関係です。本来は神仏の祝福がある荘厳さも漂う関係であったのですが,利害に毒された見せかけのものも紛れ込んでいるので,見た目だけでは分からなくなってきました。
切っても切れないほど強固なものとして「遺伝子関係」があります。親子という世代を受け継いでいく大事な関係です。この関係は生きものが本能として持ち合わせている関係ですが,最近人の間ではいささか不評のようです。次世代をどこかから湧いてくるとでも思っているのでしょうか? 次の世代のことなど関係ないと,世代関係を切り捨てている傲慢さが,歴史の倉から引きずり出されているようです。自分の将来を想像できる感性を持てない民族は,歴史の舞台から消えていきます。そのような現世代を生み育てた責任を痛感しています。自分たちよりも少しでも次世代によかれと思って努力してきたことが,大切なものを伝え損なったようです。
人間関係に苦労している現世代,その延長上に命のつながりを感じる能力の未熟さがあります。諦めるしかないという声と,なんとかしなくてはという声が,交互に強弱を繰り返しています。
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