《豊かさは お互い様を 没にして》

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 西日本新聞の6月10日朝刊の超短波という囲み記事に,シチズン時計が実施した夫婦の時間に関するアンケートが採り上げられてました。相手の行動で時間が長くイライラするもの,妻は「パソコン」,夫は「外出前の支度」,「パソコン」でした。夫婦共にパソコンがお友達になっているようです。以前はテレビにかじりついている夫という図式があったようですが,テレビならまだ夫婦で楽しむことができる余地がありました。パソコンは余人を排除するので,つらいことになります。
 また,一週間で最も心地よい時間は,夫は「土曜午後9時」,妻は「月曜午前10時」がトップだったそうです。休日は夫がパソコン三昧,妻は夫の世話から解放される平日ということでしょうか? 夫婦一緒にいる時間が最も心地よいとならない風情がよく分かりません。男女が結ばれる理由は,一緒にいると落ち着けるからということではなかったのでしょうか?
 豊かな生活は,二人で協同しなければならない事柄を激減させました。一人で暮らしていても何の不都合もありません。結婚しない,結婚しても気持ちは一人暮らし,それが現在のトレンドです。そのことの是非を問うことは意味がありません。自己責任で選択されることです。幸せであるなら,勝手にすればいいのです。ただ,そんな生き方は御免蒙ります。人の温もりを遠ざけるような気がしてならないからです。
 世の中では棚からぼた餅ということは特異なことです。なにがしかの苦労をすれば,いささかのご褒美が得られるものです。損して得取るといえば,いかにも打算的に見えますが,それが真っ当な生き方の形です。人は皆自分勝手です。しかし,一人では生きられません。すべてのことについて,人からの情けを受けて生きることができます。情けはお互い様でなければ,不公平です。お互い様という情けの交換収支がトントンであるようになっています。そのように世間を作り上げてきました。
 ところで,複雑に絡み合っている社会では,情けの出所が明確でなくなってしまいます。お互い様という当事者が見えないために,収支の決算が為されなくなっています。決算をしないと,収支は垂れ流し状態,つまり甘えや依存という帳尻に気がつかないままになります。昔は,袖すり合うも多生の縁という意識が健在であり,広い視野での情けの収支決算が成り立っていました。豊かさは必ずしも人の賢さと比例しないもののようです。世間というものへの常識を持てなくなっています。
 世間に提供されている情けを受け取るだけに終始して,世間に情けをお返しするという発想が薄れています。情けの収支を最も実感できる家庭も,お互い様ではなく,お互いに邪魔しないでという空気に染まってきたのでしょうか? そうであれば,時代に遅れたものは生きづらくなります。

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(2005年06月26日号:No.274)