《知ってても できないことは 知らぬこと》

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 講義前の待ち時間に一服しながら専門分野の雑誌をパラパラとめくっていたら,連載もののページに「何?」と目に留まった言葉がありました。「Dohow」。造語のようですが,註は付いていません。内容から推察すると,「KnowHow」(ノウハウ)からの転換のようです。やり方を知るという知恵ではなく,もう一歩進んで実行するということのようです。どのように実行できるかという具体的な実践を目指す意図を表しているつもりでしょう。
 今の社会では大量の情報が手に入ります。人とお話ししていると,いろんな話題について聞かせていただきます。そこには,大体一つの言葉が冠詞として付いているようです。「テレビによると,・・・」,「新聞によると,・・・」,といった案配です。話のテーマ選びとしては,それなりに役に立ちます。ところが,聞いたこと以上に深まらないのです。テレビはそういっているが,自分はこう思うとか,考えるとか,という形で続いていくことはあまりありません。知っていることを聞かされて,知らなかった振りをしなければならないこともあります。
 「知ってますか?」という気分で始まる対話は,「私も見た,聞いた」という一言で,あっさりと終わってしまいます。公共的に伝えられることは,ホットなニュースではない限り,皆が知っているものと考えておかなければなりません。人と語らうとき,その人が自分で考えたことを話してくれると,良い刺激になりますし,それが生きている情報になります。生の情報は直接に話を聞くことで得られるものですが,その人と話さなければ知り得なかった話は,滅多に手に入りません。
 話を楽しく聞くためには,できるだけ別の世界の人とか,異業種の人と話をするようにします。ある分野では当たり前のことが,別の分野では新しく見えるからです。身近なところでは,女性の話は男性には違った意味合いを持って受け止めることができます。良い意味での誤解やすれ違いです。同じ事実であっても,価値観や感性の違いによって,異なった意味を持ちうるからです。もちろん,ベースには分かり合うための共通なものが不可欠ではあります。
 若い人と高年者との間でも,お互いに楽しく言葉が交わされるはずです。ところが,往々にして,対話がうまくいかない場合があります。言い負けたくないという妙な気持ちが出てきたり,特に高年者の方に教えてやるといった大きなお世話が持ち込まれるときです。交渉事でない限り,普段の対話ではお互いに相手を理解するだけに留めておかなければいけません。
 情報には知っておく情報と,生かす情報とがあります。知っておく知識を,自分のものにして使えるものにしたとき,自分だけの知恵になります。冒頭の「Dohow」という言葉で著者が伝えたかったことは,そういうことだろうと思います。「自分だったらこうする」,そういう物の考え方を心掛けておきたいものです。

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(2005年07月17日号:No.277)