《真心を 伝える言葉 探しだし》

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 縁先の枝にセミの抜け殻が数個しっかりと取り付いています。雨に打たれても落ちることなく,揺れています。抜け出したセミはどこで鳴いているのでしょう。隣の木には鳴かないクマゼミが枝にしがみついています。最後の一夏を風に感じているようです。遠くからワシワシという元気な泣き声が流れてきます。セミの世界の会話がそこここに漂っているのでしょうが,人の耳では意味を聞き取ることはできません。住んでいる世界が違うからです。
 人の世界では言葉があふれています。だからといって,意味が十分に通じているかというとそうでもありません。理由はいろいろとあります。面従腹背という社交術が複雑に絡み合うことがあります。言葉通りに受け取っていると,とんでもないしっぺ返しを食うこともあります。お世辞半分で聞いておくというのが処世術です。その程度ならまだしも,陰口という裏切りも潜んでいることがあるので,用心しなければなりません。詐欺のような甘言も飛び込んでくるご時世です。
 言葉をエサにする騙りが紛れ込んでいるという警戒から,素直に言葉を聞くことができないというのは寂しいことです。せめて自分の言葉だけは嘘偽りのない真心だけを意味づけようとしています。勘ぐられることもありますが,その責任は受け取る側にあるので,どうしようもありません。真面目に話し続けていくことは,自分にできることなので,崩さないようにしています。
 講演をするとき,最初に一言自己紹介をすることがあります。「私は,これまで連れ合い以外の女性とキスをしたことがありません」。いきなり冒頭でこんなことを話し出すと,皆さんは一瞬呆気にとられますが,しばらくするとにんまりと和まれます。もちろん以後の話の伏線になっているのですが,それは追々分かることで,はじめは分かりません。何故そんな自己紹介なのか? 大きな意味を見つけることを忘れて,言葉の真偽を確かめようとされます。のろけなのか,嘘なのかということを楽しんでいただけます。こう言えば相手の人はどう受け取るだろうか? そういった楽しい駆け引きができるのも,言葉を限ることで曖昧さを演出できるからです。
 言葉のすれ違いは,そう言うつもりではなかったのにという後悔を伴います。言葉に話者のつもりはくっついていきません。そのことを弁えているか否かが,言葉を上手に使うコツです。

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(2005年07月24日号:No.278)