《チェックの目 忘れたときに 悔い残す》

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 洗濯はかつては一仕事でした。学生のころは洗濯板でゴシゴシとこすり手のひらが痛くなったものです。今はポンとほうり込んでおけば,スイッチを押すだけで洗濯が終わります。乾燥機もあるのですが電気の使用量が気になり,自然のままに干すことにしています。そこで,洗濯物を広げて干す作業が人手に残されます。パンと広げて連れ合いに渡すと吊り具に止めていきます。その際に一悶着あります。
 シャツ類が裏返しになっているので,元に戻す手間が掛かります。洗濯機が裏返しにすることはないでしょうから,脱ぐときに裏返しになったままで洗濯機に入れているのでしょう。靴下も裏返しになっています。自分の分は表向きにして洗濯しているので手間は掛かりません。連れ合いに「どうして裏返しのままに洗濯するのか」と問うことがありますが,「裏を洗いたいから」と答が返ってきます。「汚れるのは表だろう」とつっこみますが,返事はありません。どうでもいいではないですかといった風情です。
 連れ合いが食事後の洗い物をしている間に,乾いた洗濯物を畳んでいます。そのとき裏返しのままに干されていた洗濯物をわざと裏返しのままにしておきます。タンスにしまうのは連れ合いですが,裏返しのままに畳んであるのをみて「表返していない」と言います。「着るときに裏返せばいいだろう」と答えています。他愛のない会話の種です。
 取り立てて書くほどのこともない家庭の中の私事ですが,何とはなしに裏返しにしたら,誰かが表返しにしてくれない限り,裏返しのままに流れていきます。世間の暮らしでも同じことがあるでしょう。何らかの事情で手続の順序が逆になっているとき,途中で誰かが戻しておいてくれないと,そのままに流れていき問題が生じます。人から人へとつながっていくような仕事の場合には,裏表,前後といったことを気にかけてチェックすることが大切です。
 チェックしながら仕事を進めることが忘れられている傾向が感じられます。例えば,会計上の使い込み,粉飾決済,目的外使用,談合といった事例が報道されます。関わっている誰かがもうちょっとチェックの目を持っていれば防げたはずです。そんなものと当たり前視していることが,チェックを封じることになります。誰に見られても大丈夫という状況になっているか? そのチェック能力が社会人としての責任の一つです。公明正大,それはそのつもりであればいいというものではなく,自己チェックできていないと適わないことなのです。

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(2005年08月07日号:No.280)