《人のこと 人に任せる 思いやり》

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 似たもの同士というか,馬鹿な夫婦がいます。最も大切な財産を何ともしれない物事のために費やして,貧乏を託っています。仕事を持ち込むなら金をくれと言えばいいものを,言わぬが花とやせ我慢して腹を空かせています。美食に縁遠い身を健康で良いと意地を張り,寒暑に耐えるために寄り添っています。
 時間という財産が,無償の社会活動にもぎ取られています。嫌なら止せばいいのですが,誰かがしなければならないこと,できることであればしてみようかという奇妙な好奇心が刺激されて,ついつい引き受けてしまういい加減さが身の破滅です。世間ではそんな好き者は夫婦のどちらかというのが普通ですが,まれに夫婦共という奇特なカップルがいます。カレンダーに夫婦の予定を書きこんでいますが,全く隙間がなくなります。どちらかが何かの用事で,手出しのものばかりですが,外出になります。救いようのない馬鹿夫婦と自認しています。
 そんな奇天烈な夫婦なので,会話ではお互いが背負い込んでいる社会活動に関する話題が交わされます。その中で最も大切なテーマは,人の思惑です。組織活動をする場合,対象になるのは人です。例えば,「会合冒頭の挨拶など誰もいい加減にしか聞いていない」と言われることがあります。「資料を用意してもわざわざ読む人なんかいないから止めておこう」という判断があります。組織を動かす立場にあるものは,人のことを勝手に決めつけることはしてはいけないことです。聞くかどうか,読むかどうか,その判断はそれぞれの人がすることだからです。「そんなことを言っても誰も賛成はしない」と決めつけるのではなく,相手に任せることが大事なことです。
 普段の人間関係でも,同じことが言えます。人の思いをこうだと勝手に決めつけてしまっていることがあります。もちろん,気遣いをするということは大切なことですが,相手が決めることまで決めてしまっては,人間関係はうまくいきません。夫婦の間でも,私はこう思うというメッセージをお互いに出すことです。世間一般の人はこうだという話をすると,何もできなくなります。組織活動だからみんなのことを考えるというのではなく,組織活動であろうとなかろうと,一人一人のことを考えるのです。一人を動かすことができなければ,集団を動かすことはできません。
 識者といわれる人が落ち込む穴は,例えば「日本人は・・・」といった言説です。「今時の若者は・・・」ということは普通に言われます。そのような大枠の認識をそのままの形で社会的な活動に持ち込んでは,対象を見失います。目の前にいる現実の人をしっかりと見て,いっしょに考える仲間にしなければなりません。一人一人の考える領分を侵さないようにするためには,勝手な思いこみは控えて,じっくりと話し合うことです。

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(2005年08月21日号:No.282)