《甘い罠 知らずに招き 悔いを生む》

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 夏の夕,半月型に切ったスイカをほおばるのが子どもの頃の楽しみでした。お酒の飲めない身なので,今でも時折連れ合いとスイカを楽しんでいます。ただし,昔のように大きな切れっ端とはいかず,半分になっています。スイカを食べるときに,いつも気に入らないことがあります。スイカの中心の最も甘い部分に真っ先にかぶりつくということです。そうせざるを得ないのが気に入らないのです。
 おかずに好きなものと嫌いなものが並んでいるとき,どちらを先に口にするかという悩みがあります。美味しいものを先に食べるという派と,嫌いなものを先に片付けるという派があります。どちらもそれなりに理由があります。お腹が空いているときに美味しいものをより美味しくと考えるか,美味しいものは後からゆっくり楽しむと思うかということです。きょうだいのいる子は美味しいものは早く食べないと奪われるという事情も絡んだりします。
 好きなものは後からゆっくりという派ですので,スイカが気に入らないことになります。食べ進んでいくと段々と薄味になっていくからです。スイカに対しては,もう一つの悩みがあります。赤身の部分をどこまで食い尽くすかということです。白身が見えてくる直前までとなると,少し酸っぱさが出てきます。連れ合いがスイカの一夜漬けにするので,どちらでもいいのですが,食べ収め所に迷います。
 幼い頃の贅沢なものとしてバナナがありました。ガッツ石松さんもバナナに憧れを持っていたという話を聞いたことがありますが,いつでも食べられるというものではありませんでした。今食卓には連れ合いの朝の食事としてバナナがカゴに入っています。夏は傷むのが早く,多めの房は食べ頃が過ぎていきます。食べるのに加勢をすればいいのですが,がむしゃらに食べたいという気になりません。いつでも食べられるという思いがあるからのようです。その辺が贅沢ということでしょう。
 子どもの頃に美味しかったものが,今ではそれほどでもない場合もあります。もっと美味しいものが出てきて,相対的に低下していったのでしょう。贅沢は不健康という摂理が,肥満という結果として現代人を襲っています。贅沢に慣れた感性が,歯止めを甘くしているせいです。本来美味しさという感受性は健康を維持する機能であったはずですが,贅沢という媚薬が栄養チェックを甘くしているということです。意識して粗食に甘んじるという抑制が必要でしょう。

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(2005年08月28日号:No.283)