家庭の窓
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綾小路きみまろというタレントがいます。毒舌という本音を語って笑いを巻き起こすという,きわどい芸を披露してくれます。人柄という色づけがあって,できることです。同じことを言えばだれでも喝采を受けるというわけではありません。そういうあなたも同じじゃないかという同病相憐れむという関係が必要になります。そうでなければ,あなたには言われたくないという反発が出てきます。
「人生の荒波を乗り越えてこられた中高年の皆様。ツヤのない上半身,用のない下半身。人間は長く生きておりますと増えるものばかりです。シワが増え,白髪が増え,目方まで増え,コレステロール,血糖値,中性脂肪,そしてありあまるほどの皮下脂肪。つかんでみたけどまだあまる。誰がこんな体にした。よいしょといわないと立てない。よっこらしょといわないと座れない。お洋服で若さを前面に出して,お化粧で年齢を隠しても,お洋服の下はピップエレキバン,ホカロンに万歩計」。(綾小路きみまろ:PHP文庫)
咎めるというのではなく,私もそうですがあなたもそうではないですかという口調が,そうそうという同意を引き出し,しようがないなという笑いにつながっていきます。言われたとおり思い当たることがあると思い,そんな自分を温かく笑うことで,人様を笑うという不躾な笑いから逃れて,明るい笑いになります。自分を笑うのですから思いっきり笑うことができます。取り澄ました部分をお互いが納得ずくで穿り返す,カタルシスという精神の浄化作用です。
話芸の絵解きをしても無粋です。楽しく時を過ごせればそれでいいのですが,人に語る機会のある立場からすれば,話者と聴者の間合いは気になってしまいます。そういう特別な場合に限らず,日常的な会話でもいくらかの似た状況があります。ちょっとした冗談のつもりで言ったことが皮肉や嫌みに受け取られる場合があります。そうそうという同意が成り立たなかったからです。
「がんばって」と励ましているつもりが,「がんばっていないというのか」と逆に受け取られることもあります。ひねくれているというわけではありません。そう思えばますますお互いの間がひねくれていきます。気持ちを合わせるという手続を怠ったせいです。ちょっとしたことですが,案外と難しいものです。だからといって,諦めては大人げないことになります。きみまろ節にあるユーモアをもっと学ぶことです。大笑いをする必要はありませんが,思わずニコッとできるような言葉遣いをしたいものです。
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