《楽しみは 人から見れば 可笑しくも》

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 お風呂は子どもの頃から烏の行水タイプです。湯船にゆったりというのはあまり好きではありません。もちろん温泉に浸かるという楽しみはありません。連れ合いは温泉好きなのですが,ちょっと出かけようかということにはなりません。少しばかり可愛そうな気がしています。お仲間と出かけることがたまにあるので,勘弁してもらっています。
 身体を温める間お湯に浸かりますが,暇なので歌を歌います。エコーが掛かって下手な歌がカムフラージュされるので楽しめます。古い歌ばかりですが,口から出てくるのに任せてジャンルを問わず唸っています。父や母が歌っていたのを聞き覚えたものもあり,歌と同時に覚えた頃の状況を思い出す楽しみもあります。もちろん数曲でお風呂場コンサートは終わります。
 歌がことさら好きということではありませんが,聞こえてくれば一緒にハミングしています。わざわざ聞くのではなく,車に乗っているときにFMラジオから流れてくるのを耳にする程度です。音楽に対しては中学時代から成長せず,知っている曲だったら子ども騙しでハーモニカ演奏のまねごとができるくらいです。自分で楽しむ分には十分でしたが,最近はすっかりご無沙汰しています。仕事擬きの用事がなくなって暇になれば,庭でも眺めながら練習がてら吹いてみようかなと思っています。
 同年配の方と話していると,尺八をやっている,津軽三味線を演奏している,お歌いを習っているなど,皆さんの芸達者振りが羨ましくなります。無芸としか言えないときは,何かをした方が楽しいのかなと考えたりします。何が楽しみで生きているのか,自問自答をすることもありますが,だからといって退屈しているのでもありません。毎日の時間が足りないほど,したいことをしています。いったい何を?
 降り掛かってくる用件について,考えることが楽しいといえばいいのでしょうか? 人間のあれこれの思いや行動など,見飽きないのです。その中には連れ合いが見せてくれる社会的な活動もあります。傍で眺めながら,ちょっとちょっかいを出してみたりしています。いろんな問題をどうすればうまくいくのか,パズルを楽しむような感じです。幸いなことに今のところ他にも,周りのご縁がある方があれやこれやの課題を持ち込んできてくださいます。考える種がいろいろあるので退屈しません。
 中にはそれなりの責任を伴うものもあるので,楽しんでいると言えば不謹慎かもしれません。しかし,決していい加減にしているわけではなく,真剣に取り組んでいるつもりです。真剣であればあるほど考えることが楽しくなるからです。普通に見れば,面白くも何ともないお役目仕事ですが,それを楽しんでいるというのは風変わりだと自覚しています。どうしてこうなっちゃったのでしょう?

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(2005年09月11日号:No.285)