《場所柄が 暮らし彩る 和やかさ》

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 げすの勘ぐりという言葉があります。テレビを見ていると,その言葉を思い出すことが度々です。鋭い突っ込みをしているつもりなのでしょうが,品性の貧しさを感じさせます。本音を暴くために仕掛ける手練手管なのかもしれませんが,もしそういう物言いを向けられたらムカッとするだろうな思います。そのままブーメランのように突き返すでしょう。視聴者の立場に立って言っているという大義を頼りにしているのでしょうが,視聴者をばかにしています。
 テレビはもっと大人にならなければと思います。人を虚仮下ろして面白がり,曲解して突き周り,勝手に馬鹿話をして見せびらかし,こせこせした細切れの知識を大仰に大発見してみせる,子ども騙しの電気紙芝居と言われた時代からも後退しているという印象を受けます。落ち着いて誠実で真面目で深く考える番組,そんなものでは視聴率を稼げないという製作者側の呪縛が,視聴者の感性を低い方に引きずり込んでいきます。商業主義の先兵であるメディアは欲望という本性にすがるしかない宿命を背負わされているのでしょう。テレビに期待する方が間違っているのかもしれません。
 人の悪口は蜜の味,自分だけは違うと錯覚して,テレビを非難しているのも,げすの勘ぐりです。そう思うなら見なければいい。それだけのことです。メディア技術の発達が,内々のコソコソ話であるはずのものを,広範に喧伝するようになりました。場所柄を弁えるという礼儀が機能しなくなりました。礼儀とは面と向かっている人の間で作用するものです。メディアを媒介にすると直接面と向かう関係ではなくなるので,礼儀は適用されなくなっています。立ち聞きと同じシチュエーションになっているために,不謹慎とは感じていないのです。ネットの世界に場所柄という概念が機能していなくて,放縦さ・無法さも抱え込んでる状況は同根です。
 今,人は自分の場所という感覚を持たなくなっています。大きく言えば愛国心から,○○県人,○○市民と狭まって,○○家の一員という自分の存在の根拠地意識が薄れています。自分意識が野放図に押し出され,結果として社会という共同体がおかしくなっています。地域の崩壊が生活上のあれやこれやの問題を引き起こしています。NHKが「ご近所の底力」という番組を放映していますが,要は生きる場所についての再確認をしようという提案です。
 自分の足下をきちんと見つめることが大事になります。メディアの世界を自分の目や耳の代わりにしていると,遠くを見て足元を見ないという覚束ない歩みをしていることになります。身の丈に相応しい視野を確保すれば,生活のあれこれはもっと和やかに心安らかなものに変わっていくはずです。

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(2005年09月18日号:No.286)