《出会う人 気配り込めて 縁結ぶ》

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 人は出会いによって成長するという言葉が,ドラマの中で語られていました。人生とは人の縁だとも。つたない来し方を振り返ると,確かにそうだと頷ける節があります。たくさんの方からのお世話を受けて,歩む道を選んできました。こうしたい,ああなりたいという目標に向かっていても,途中の道筋には必ず立ちふさがる壁があります。自力ではどうしようもなく窮しているとき,手を添えてくださる方と出会えたから,なんとか曲がりなりにも歩み続けてこられました。
 いろんな機会に出会いがありますが,そのすべてが深い縁になるわけではありません。わずかなものが巡り合わせによって再縁になるだけで,ほとんどが一期一会になります。そこに心尽くしを込めておけば,縁と縁がつながって大きな連鎖が起こります。どんなものになるかは誰も分かりません。未知なるが故に尊くありがたいという面もあります。ただ神頼みだけではダメであり,それなりの下地として温かな残心を施しておかなければなりません。
 いろんなところで出会いがあるはずですが,利害や必要さで選んでいると,縁は結ばれません。金縁や仕事縁,社縁という縁もありますが,それはその名の通りの縁結びでしかなく,あっさりと切れてしまいます。血縁は論外として,地縁や趣味縁などが永続きする縁になっていましたが,最近はすっかり影を潜めています。近所づきあいなどがなくても寂しくないというのは,若いうちだけです。若いうちは友だちという縁を作っている最中ですから,縁による温もりを受けるまでには至っていないからです。やがて落ち着いてくる年頃になると,縁という人とのつながりが欲しくなってくるものです。
 どんな人と縁を結んでいるか,そのありようが暮らしを彩ることになります。温かい縁があれば温かく,冷めた縁しかなければ冷え切って,どうしてこうなったのか分からないまま,幸不幸を感じながら生きることになります。ところで出会いはお互いの持ち合わせている心根が響き合うときに縁に転化します。相性とでも言えばいいでしょうか。そこでよい縁を結びたいなら,よい縁が結ばれるように用意をしておくことが当然のことになります。
 洗面所でたまたま出会った見ず知らずの人に対して,気配りを欠いたために失礼なことをしてしまった会社員がいました。本人は失礼をしたなどとは思ってもいませんでした。ところがその相手方が取引先の偉い人であったために,大変立腹し取引停止になって,会社に損害を与え,結局居づらくなって辞めたという話があります。一期一会という縁を大事にすることは,身近な心得として忘れないことです。

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(2005年10月02日号:No.288)