《夕焼けを 見上げる君の ほお赤く》

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 講演をするときには,取り上げる話題についてコツがあります。「美談を語るな」ということです。美談を語れば語るほど聴衆の気持ちは離れていくからです。だからといって醜い話をしても悪寒を招くだけです。大多数の人は美しくもなく醜くもない,それなりの平凡な暮らしをしています。ほんの一杯の美酒があれば十分です。ですから,美談を次々に押しつけられると疲れてきて,しまいには嫌みに感じてしまいます。それはごく素直な気持ちです。
 大変素敵な女性がいました。語り合えば飽きることなく知性あふれた話題が続き,仕事もばりばりこなしていました。ある男性と親密になり結婚に向けてお付き合いをしていました。あるとき二人で夕焼けをながめていました。「きれいな夕焼けだね」と語りかけられたとき,「○○の描いた夕焼けの色は・・」と続けていきました。それからしばらくして二人は別れ,男性は別の女性と結婚しました。
 男性はつきあっていて今ひとつピンと来なかった理由,なぜかしら疲れる訳が分かったからです。夕焼けの美しさを語るのではなく,夕焼けを美しいと共感できることが大切だったのです。つきあっていて楽しいタイプと,一緒にいるとほっとするタイプは違います。もちろん,男性が結婚した女性は夕焼けを共感できる人でした。
 美しさを造り出そうとすると大変です。それは多分不自然だからなのでしょう。同じように美談とはそうしようと思ってしたことではないはずです。ごく自然に発生したはずです。できすぎた美談に胡散臭さを感じるのは,仕組まれたというにおいのせいです。美談を語って聞かせようとする話者には,美談を目標にして努力してほしいという願いがあります。しかし,聴衆は「それはまがい物ではないか?」と,直感的に感じ取っています。
 美しさを絵に見ている女性は美を知性的に考えています。自らの感性が後回しになっています。確かに絵は美の素晴らしい仲介物であり,作者は美の発見者です。それでも目の前に広がる夕焼けは絵の夕焼けの原風景なのです。感性が素直に受け止めさえすればいいのです。その素直さがあれば,人はお互いにほっとするはずです。
 道ばたの草花に目を留めて「美しい」と心で感じる人が,美しい人でしょう。美しさを見つけられる人です。美しさは追い求めるものではなくて,見つけるものだからです。 

(2000年10月22日号:No.29)