《タテマエに ホンネ持ち出す イヤなヤツ?》

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 連れ合いの使っているカレンダーは,秋になって土日がすっかり赤い予定メモに埋められています。勤めやすめをする暇が無く大変な月になりそうです。それにしてもよくがんばります。この元気だから長生きするはずと思いますが,ちょっと心配です。
 女性ががんばっていますが,男性と同等に働けばストレスも対等になるでしょう。男性が短命である理由として労働の緊張があるとすれば,女性の寿命も今後短くなってくるのでしょうか。同じ寿命になってはじめて男女同等ということで目出度いことかも? 冗談はさておき,連れ合いの肩の荷を少しは肩代わりしてやる算段を秘かにし始めているところです。
 連れ合いが今関わっている社会活動は初体験のことです。先の見通しを持たなければ不安ですからあれこれ考えていますが,実際の進行状況とのズレに遭遇して立ち止まることもあるようです。何しろたくさんの人とのやりとりがあるので,自分のペースは守れません。伝えたつもりのことが伝わっていない,してほしいと思っていても後回しにされたり,相手の求めがよく分からなかったり,それぞれの思惑が微妙にすれ違っていきます。
 愚痴っぽく話しかけてくる連れ合いに同意しながらも,相手の立場や思いを代弁します。それが高じるとちょっとした言い合いになります。意地悪をしているのではなく,それだけの議論を模擬体験しておけば,本当の相手とのやりとりには余裕を持てるだろうという思いからです。立場が違うと考え方にも違いがあるということを楽しく体験しあっています。
 ボランティアを含めて社会的活動が盛んになっています。この活動は喜ばれるよい活動であるという自負が推進力になります。そのタテマエに惹かれて参集する人が増えてくるのは素晴らしいことです。そこに社会活動の落とし穴があります。人のためになるというタテマエは「しなければならない」という思いを生み出し,やがて窮屈になってくるからです。ホンネの部分を掘り起こさなければなりません。
 ホンネとは自分のためになるという納得ですが,少なくとも自分の不利にはならないという守備線もあります。社会活動は一言でいえば「わざわざ」することです。人はそれぞれ自分の立場や暮らしのペースがあり,度を超す求めは嫌がられます。それぞれの人がどの程度の「わざわざ」なら受け入れてくれるか,そのようなホンネへの気配りが活動の進展の鍵です。
 連れ合いとの模擬議論は,連れ合いが持ち出すタテマエにホンネをぶつけるやりとりなのです。どちらかにこだわると平行線です。長続きし生き生きした活動にするためには,ホンネを甘く見ないことです。

(2000年10月29日号:No.30)