《感性に 違いを見つけ 面白く》

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 南からの気候と北からの気候が入れ替わると,急に肌寒いと感じます。体感は南と北の間にあるということです。それぞれに暑さに弱いとか寒さに弱いといった特性はありますが,平均気温を体感の水準にしています。感性は自分を基準にすることで外界の情報を得るように成り立っており,暑いから薄着,寒いから厚着という対処をします。そのための衣替えという季節行事がやってきました。
 出会いのあいさつでは,「涼しくなりましたね」,「そうですね」と言葉を交わします。その同意によって,お互いの感性が同じであることを確認しあっています。もしも「そうですか」と受けられたら,「アレッ」と肩すかしをくうことでしょう。続けて3人の人にそう受けられたら,おそらく自分の感性を疑うことになるでしょう。世間の風を同じに感じていないと,社会生活が難しくなります。
 実のところ自然に対する感性を表す言葉は,それほどの違いはありません。暑い日射しは誰にとっても暑いものです。ところが人工的な社会では人それぞれに限定された環境になるので,感性が違った結果をもたらすようになります。ビルの中の冷えすぎる環境にいればクールビズなどという補正が必要になりますが,外で動いている人はギリギリにまで追いつめられています。外から帰ってきた人が「暑いですね」と言ったとしても,中の人は「そうですか」という返事しかできません。
 社会生活では,皆が同じというわけにはいきません。懐の温かい人もいれば寒い人もいます。冷え切った人も出るような不公平さがあります。苦労知らずもいれば苦労続きの人もいます。気持ちの燃える人もいれば沈み込んでいる人もいます。苦にする人もいれば苦にしない人もいます。焦る人もいればのんびりした人もいます。同じ環境にいるように見えて,人は様々な感性によってそれぞれに違った結論を得ています。例えば「幸せだな」という言葉は,人によって全く意味が違っています。
 感性には慣れるという性質があります。感性の基準がシフトします。暑さに慣れるとか寒さに慣れるということがあります。苦労していても苦労に慣れていきます。あまり慣れ親しみたくはありませんが,そうなることで痛みを和らげることができます。言い換えれば,適応性という特徴です。
 感性には別に飽きるという性質もあります。毎日同じおかずでは飽きてきます。同じ顔ばかりと向き合っていると飽きてくるといったこともあるようです。これは感性の多様性を保とうとするからです。特に食事の例で明らかなように,バランスのとれた栄養摂取のために,片寄りから免れるためです。生活のパターンが毎日同じであると,生活に飽きが来て,何か変わったことがないかと別口への感性がうずいてきます。上手に対処しないと,ぶち壊しになる局面もあるので用心が肝要です。
 何かしらいろいろとある,ゴチャゴチャしている生活が案外と楽しいと感じているのは,理に適っているのかもしれません。

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(2005年10月16日号:No.290)