家庭の窓
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政令市のような大きな自治体では,小学校校区を単位として公民館施設が設置され職員も配置されています。小市町では全体の中央公民館のみで,地域には自治公民館という集会所が住民負担によって建てられています。もちろん幾ばくかの補助はあります。常勤の人がいるわけでもなく,地域の人が使用するときだけの施設です。このときの地域とは小さな自治行政単位で,小学校校区に複数の施設があります。
わが地域の自治公民館は老朽化したので,建て替えられ,この10月11日に竣工式が行われました。建築費の4分の1は住民の寄付でした。建設のための委員の一人として数年がかりの微力なお手伝いをして,無事に竣工式典を迎えたことは喜びひとしおでした。式典の際に,設計士さんと短い期間の思い出話をしながら,確かめておきたかったことを伺うことができました。
基本的な間取りなどの素案を決めた上で,設計士さんとの関わりが始まりました。打合せの後で設計士さんから建物全体の形に対して図面が3案提示されました。ごく単純なものから斬新なものという選択でした。設計士としては斬新なものを建てたいのであろうと推察されましたが,周りの風情とのマッチングを考えると,ごく単純な形でというこちらの意向になりました。設計士としての腕の見せ所がなくて,面白くない仕事になったのではと気になっていました。専門家はどこかで自分の思いを込めたいものだからです。言われただけの仕事は,気持ちが燃えません。そんな設計するものとしての気持ちを尋ねてみました。
やりたいデザインのものでなくなっても,それは建てる側の意向に従うことなので承知しており,設計士としては提案することで一つの仕事になるという返事でした。さらに,完成した建物の中に,設計士としてこれは自分が設計したというポイントがありますかという問に,いくつかのことを話してくれました。よいものを作ろうという設計士としての主張が随所に込められていました。自分はこう考えてこうした,そんなアイデアを盛り込んでもらえたこと,仕事をそれなりに楽しんでもらえたことはうれしいことでした。ものを作る喜びがなければ,よいものはできません。いい仕事とは関わっている者すべてが楽しむことから生まれます。
決して余裕のあるわけではない限られた予算の中で,最大限の品質を求めようとする気概,その依頼主と設計士の気持ちがしっかりと結びあっていたことは,地域の住民に対する責任を果たしたというささやかな自負をもたらしてくれます。もっともその中心にいたわけではなく,ささやかな手伝いしかしていなかったのですが,それでもよかったという気持ちでともに喜ぶことができました。
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