《衣替え 親の温もり 身に纏う》

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 日本列島に流れてくる大気が,どこからのものかということで,体感温度が変わります。それぞれが小競り合いをして勢いのある方がやってきますが,適当に入り交じるので周期的になります。それでも西と東の大気バランスが平均的に移っていくので,季節が移り変わっていきます。その季節の変わり目は寒暖の繰り返しがあります。今日は寒いと思えば,次の日は暖かということがあり,衣替えの季節に入ります。
 狭い家に住んでいると,衣装をすべて一律に並べておくわけにはいきません。季節毎に衣装ケースなどに交替して格納しなければなりません。もっともほとんどが連れ合いのものです。季節毎といっても,夏物と冬物の入れ替えだけで,春物や秋物は衣替え作業を省いており,せいぜいタンスの中での移動で済ませています。とはいえ,暮らしの衣食についてはほとんどが連れ合い任せですから,正確なところは分かりません。ちゃんと入れ替えてますと叱られるかもしれません。
 衣装は寒暑をしのぐものと思っているので,ほとんど無頓着です。いい加減に着替えなさいといつも言われています。外出の時もチェックが入りますが,この頃は諦めているのでしょうか,少なくなってきました。お互いすれ違いで出かけることが増えてきたという事情もあります。放っておかれると別の意味で少し心配です。連れあいの目が届いていないという状況では,連れ合いの恥になるかもしれません。
 最近は親父の形見の衣装を身につけることが多くなっています。親父は戦後の貧しい時代を経てきたことから,衣装道楽を自認していましたのでそこそこにいいものを残してくれています。とはいえ,衣装を見る目がないので猫に小判状態です。言われてみてそんなものかなと思いますが,それっきりです。親父が彼岸から見下ろして苦虫をかみつぶしていることでしょう。
 ネクタイの形見は,連れ合いが小さなバックに仕立ててもらって使っています。かなり幅広のネクタイなのでさすがに使いづらくてタンスの奥にしまい込んだままになっているのを,衣替えの折に見つけてリサイクルしてくれています。眠らせておくのはもったいないので,よかったと思っています。持ち物は人様に見せるものではなく,使う者の気持ちを豊かにすることが目的でしょう。やさしく看取ってくれた嫁の思いを,親父はきっと喜んでいるはずです。
 今時お下がりを着ている人はいないかもしれません。そういえば母は大人になった子どもたちのお下がりのシャツを着ていたのを思い出します。もったいないの塊みたいな母でしたが,その遺伝子が残っているのは,私たち世代まででしょうか。豊かな社会はちょっとばかり脇道に入ってしまっているようです。

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(2005年10月30日号:No.292)