《考えて 想定内で 安心が》

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 車を運転しているとき,道順を辿っていきます。交差点で違った方角に向かう車を見ているとき,その先はどこにつながっているのだろうと思います。もちろん,まだ通ったことのない道です。帰ったら道路地図で確かめてみようと思いますが,家に着いた頃にはすっかり忘れています。通りがかりの感傷に過ぎず,一過性のものです。後日同じ所を通りかかるとき,同じ思いをして,忘れていたことを思い出します。
 日常の暮らしは,基本的に行き当たりばったりです。慣れているから,それで間に合います。次は何という流れを身体が覚え込んでいます。無計画と言ってもいいでしょう。慣れた道を走っているのも同じことです。ところで,暮らしには突発的なことが紛れ込みます。あるはずのものがない,来るはずのものが来ない,あってはいけないことがある,など普段と違うことが起こります。備えていないと,慌てることになります。その先が見えないからです。道を間違えて知らない通りに紛れ込んだ時と同じ状況です。修復に右往左往させられます。
 備えあれば憂い無しという言葉があり,誰でも知っているはずです。ところが,備えをする人はほとんどいません。何をどうしたらいいのかという目標がはっきり認識されていないからです。そこで,言葉の連想ゲームをしてみます。備え?,用意周到,計画的,手抜かり無く,と進んでくると,「目的を定める,状況を把握する,可能性を検出する,対応策を考案する,具体的事項を整備する」といったプロセスが見えてきます。要するに,計画を立てるということです。
 人の考える力とは,将来に起こりうる状況を想定し,対処する可能性を発見するために使われるはずのものです。先を見越して行動するための能力が知力です。「何も考えていない」という状態は,考える力を宝の持ち腐れにしています。経験や学習によって培われる考える力は,使わなければもったいないのです。人が抱く不安は,先のことが分からないということから発生していきます。考える力が発揮されて想定内のことであれば,不安はほとんどなくなっていきます。
 そうはいっても,どのように考えればいいのかという,考える力の使い方が分からないということがあります。一つの方法は,「人の振り見て我が振り直せ」ということです。自分のことは見えないのに,人のことはよく見えます。ところで,人を見るとき普通は悪いところに目がいきますが,良いところを見習うことが大切です。学ぶというのは真似ることです。
 その次には,人の体験談を聞くことです。「こういうことがあり,こうしたらこうなった」,それが考える教材になります。体験を共有することで,人は考える力を意識することなく発揮していくことができます。その意味で,先人であるお年寄りの経験は,大事に受け継いでいく方が得なのです。
 現代人は分からないことがあれば図書館で調べる,インターネットで調べるという手法を使いますが,それは問題が分かっているからできることです。自分の知らないこと,そんなことがあるのだろうかという思いもしないことは調べようがありません。お年寄りの体験談からは,はじめて聞くといったことがたくさん出てきます。視野の広がりを授けてもらえます。もちろん,異業種の方との対話も貴重なものであることは同様です。

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(2005年11月20日号:No.295)