《不祥事を 公開させる 大らかさ》

 最近,不祥事という言葉を耳にすることが多くなりました。信頼を裏切るような行為が発覚し続けています。何らかの不始末を初期の段階でごめんなさいと言っておけばよかったものを,故意に隠蔽したり虚偽発表して知らんぷりする卑怯さが暴かれています。
 具合の悪いことが発生すると,関係者内で「〇〇ということにしておこう」と辻褄合わせをすることがあります。何かを紛失したら最初から無かったことにしておこうとか,壊れたら不良品であったことにしようとか,連絡漏れがあったら繁忙期に紛れて聞かなかったことにしようとか,ついついうっかりしていたとか,いくらでも言い訳は出てきます。
 不具合は早い内に修正しておけばなんということはないのですが,そのまま放置するから後になってツケは大きくなります。それだからこそ,ついにはばれてしまいます。小さな嘘が始まりで取り繕っている内にどうしようもなくなるという経験は,誰もが持っているでしょう。
 大人社会の不祥事も,子ども世界の不祥事も,最初の小さなきっかけをちゃんと対処さえしておけば大事に膨らむことはなかったはずです。どうして小さな失策を逃げるようになったのでしょう。それはどんな小さな失策も許さないという風潮があると感じているからです。人間は失敗するものだという大らかさを失っています。失敗するからそれを早い段階で修復する手だてを同時に講じてきたのが,人間社会のしぶとさです。会社では確認,検査,チェックといったシステムが動いているはずです。
 大切なことは失敗をしないことではなくて,失敗したときいかに早く適切な対処を取れるかということです。プロとアマの違いは失敗をうまくごまかせるかどうかという点にあるそうですが,正しく修復するという意味で一つの大切な人間業です。小さな失敗を放置して逃げるのが卑怯であり,そのことに対して大きな責任が発生します。
 
ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年4月30日号:No.4) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです