《親心 素のまま出せば 子には邪魔》

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 私の住む町には保育園が4つあります。そこの年長さん総員80名が和太鼓の演奏をしています。毎年町民運動会での人気種目です。かわいいかけ声ときびきびした動作で叩く5種類の太鼓の音はトントントトトンと心地よくしみこんできます。前後の挨拶も幼児特有の語尾を大きな声で言い終わる語り口で,その健気さが拍手を誘います。連れ合いはこれだけは涙が出るとお気に入りです。
 一糸乱れぬ演奏に,よくもここまで教え込むものと感心します。もちろん保育園の先生方自身も太鼓を楽しみ,迫力ある演奏を別の機会にアトラクションとして聴かせてくれます。一緒に楽しんでいるから長続きしているのでしょう。子どもを育てるには同じようにしてみせるのが何よりです。
 園児たちは本部席に向かって演奏します。そのとき本部席はビデオや写真の撮影をする親たちや祖父母に占領されます。本部要員がちょっと外している最前列の席に座りこむ人,座って鑑賞している来賓の前で立ち上がってしまう人などさまざまです。それも一言の挨拶もなしです。皆さんは仕方ないと温かく見守っていますが,親心を振りかざすのはみっともない仕儀です。
 我が子の晴れ舞台を台無しにしています。公の活動を私的なレベルに引きずりおろしているからです。我が子が地域の人を喜ばせようとしているのに,親が前に立ちはだかっては,折角の子どもの思いをないがしろにします。親は基本的に子どもの後押しをする位置に着いていなければなりません。我が子を正面から見るのではなく,我が子が向いている方を一緒に見てやることが親の視線です。見守るのは子どもの背中です。そうしないと子どもの邪魔になります。
 子どもは自分が他人の目からどう見えているかという視点を身につけなければなりません。自分を客観視することです。自分の行為が他者に対して及ぼす影響を深く洞察する入り口であり,迷惑を掛けないような身の処し方につながります。これが最近の子どもに最も失われている点です。他者を意識することで私的な思いにどれほど制動を掛けてみせるかが親としてのお手本ですが,親心のバーゲンセールでは今後も思いやられます。
 親心に対してきつい苦言のようですが,砂糖だけの甘いぜんざいではなくて,塩味の隠された本物の甘さを求めてほしいからです。こくがあるのは何も料理だけではなく,親心にもあるということです。

(2000年11月05日号:No.31)