《楽しみは 新年の夢 あれやこれ》

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***** 新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます *****

 2006年の幕開けです。昨年は内外で悲しい出来事がありました。でも一方で,昨年を表す漢字として選ばれたのは「愛」でした。愛があふれていたというより,愛を求めたい気持ちが世情に高まっているということでしょうか。しかしながら,愛を求めるというのは,人としては未熟であると思っています。なぜなら,愛は求めるものではなく,与えるものだからです。愛を与えることが当たり前になれば,和やかな暮らしが巷にあふれるはずです。
 ほんの数十年前までの社会では,自分の仕事をキチッとやり遂げることに誇りを持っていた人があふれていました。些細なところにも最高の技を駆使して,見る人が見れば分かるという粋な仕事ぶりを楽しんでいました。もの作りの技が信頼という保証を生み出すことを弁えていました。ところが,最近は,手抜きをして時間と経費を減らすことに邁進するという浅薄な性根が蔓延っているようです。
 精密な機械ではネジ一つの仕上がり具合が全体の機能を左右します。見かけがきれいであっても,目に見えないところに手抜きをすれば,全体の価値は消失します。構造計算の偽造は単なる書類上のこととして罪悪感が伴わなかったのでしょうが,それは職人魂の堕落という最大の悪徳なのです。
 普段の暮らしでも,心を込めてという所作が少なくなってきました。もっとも端的な言葉が「忙しい」という言葉の乱用です。手軽に,サッとできる,便利でといった手間暇を掛けていない暮らしからは,心のこもったという感じは湧いては来ません。忙しいという漢字は,心を亡くすという形であることを思い出せば十分です。
 夫婦関係でも,お互いの違いが目についてくる時期になると離婚するという引き際のよさは,結婚生活を手間暇掛けて二人で造り出そうという気概が失せているせいです。面倒なことは御免という浅い了見では,心豊かな生活は望めないでしょう。いろんな場面で,心ない所作がはね返ってきています。
 誠意を持って丁寧に精一杯のひたむきさを込める,そんな愚直に見える生き方を尊いと信じている人たちがいました。それは「人に笑われない仕事をしよう」,「子どもに誇れる仕事をしよう」,「自分が悔いを残さない仕事をしよう」といった覚悟として,意識されていました。しかしながら,その生き方は確かに苦労が多く報いも少ないかもしれません。それでも心いっぱいに温かさが満たされているはずです。
 次世代に苦労を引き継ぐことを恐れたせいで,次世代は大事な心の拠り所を失って,世代交代が進む中で,社会全体に対して自分を生かそうという気概が薄れてきました。NHKの人気番組であったプロジェクトXの中に見える男たちの気概は,過去のものになったのかもしれません。男らしい男たちの愛の真髄を示す姿がまた再び現れることを期待しながら,この一年を歩いていこうと思っています。

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(2006年01月01日号:No.301)