《楽しみは 迷いを抜ける ひたむきさ》

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 年末の天気予報では大晦日と元日は雨天のはずでしたが,いざ迎えてみるとよい天候に恵まれました。暮れのあわただしさとは打って変わって,のんびりとしたお正月でした。年賀状をゆっくりと拝見しながら,ご無沙汰の隙間を埋める楽しみを味わいます。出してなかった方からの賀状には,申し訳ない思いで早速賀状を作成します。逆の場合にも気がかりになります。こちらが出しているのにいただいていないとき,催促しているような感じになります。
 ところで,ご縁があっての賀状ですが,ご縁を切ることも必要になります。そのタイミングは結構難しいものです。つきあいは時と共に移り変わっていきます。ご縁の濃さも色褪せるときがやってきます。仕事の上でのご縁は仕事の終わりと共に急速に消え入りますが,そうでないご縁はなんとなくダラダラとつながってしまいます。バサッと切ればすっきりするのかもしれませんが,途切れたと見えたご縁が別のルートでつながるという思いがけないことがしばしば起こります。そんな経験がご縁を大事にしようという向きに背中を押します。
 教え子や後輩たちの賀状には,子どもの成長を見せてくれるものがありますが,育っていく早さに齢を重ねていることが対比されてしまいます。世代という押し出し効果が着実に進んでいると思い知らされます。この子たちに何か残しておいてやらなければという気持ちがそっと湧いてきます。価値のあるもの,受け取って意味のあるもの,それが何かを探しあぐねています。個人的な遺産といったレベルではなく,世代に受け継ぐものです。
 風土といった環境,文化といった伝統,価値観といった哲学,いろんなことがあります。それらを具象化したものとして,個人の暮らしぶりがあります。先輩としてできることは生き様をイメージとして残してやることでしょう。もちろんそれは褒められた生き様だけではありません。あんな風には生きたくないという反面であっても構いませんし,むしろその方が押しつけがましくなくていいのかもしれません。
 紆余曲折を迷いながら生きていく中で,何を頼りとしているか,生き方の芯をきっちりと掘り起こして,提示できたらいいでしょう。言葉だけなら簡単ですが,実践するとなると難しいことです。厳格に考えるよりも,ひたむきさという物差しをいつもそばに置いておきたいものです。そうすれば,人も自分も温かく眺めることができるはずです。誠実にひたむきに生きる,平凡な目標に落ち着いてしまったようです。 

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(2006年01月08日号:No.302)