《楽しみは 人の不始末 あげつらう?》

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 新聞の切り抜きをしていると,何とも情けない気分になってきます。中学の先生が期日内に定期試験の採点をしそびれて,でたらめの点数を生徒や保護者に通知したという記事がありました。その後で採点した答案を返却し,報告と点数が違うという生徒の指摘で明るみに出ました。何ともお粗末です。採点するのが先生としての責任であり,仮に期日に間に合わなかったら遅れることを詫びて採点をすればよかったでしょう。期日を守るということを優先させて,虚偽の採点で糊塗するという一時しのぎは本末転倒です。
 フィリッピンの大使館に駆け込む年配の男性が増えているそうです。パブなどで知り合った女性を追いかけていき,退職金などで家や車を買い与え,使い果たしてどうしようもなくなっているそうです。そういえばチリの女性に大金を貢いだ男もいました。不甲斐なさに呆れます。日本男児の気っ風という旧いことを持ち出すつもりはありませんが,軟弱さを感じてしまいます。
 女性に対してデブと罵倒して,セクハラ訴訟され,拘禁20数日と判決された市議もいます。品性を疑われる不始末です。上品であれとはいいませんが,下品なのはいただけません。取り巻きにチヤホヤされているうちに錯覚を起こし,何様のつもりか,奢り高ぶりに染まると卑しくなります。それを弁える普通の感性を常に保っているのが大人であったはずです。
 試験場に監督官が携帯電話を持ち込み,呼び出し音が鳴り渡ったという不手際もありました。持ち込み禁止であったのに,連絡の用事があり電話を使い,そのままうっかり持ち込んでしまったということのようですが,真剣みが薄れています。仕事場にうっかりを発揮されては困りますし,何よりうっかり持ち込んでしまったという言い訳を平気でするということが驚きです。仕事場でのうっかりは致命的な失態という緊迫感が足りないのです。
 世間には自分の意に染まないことがあると,突っかかっていく人もいます。それも大抵は思慮が足らずに的はずれです。話をよく聞くという嗜みを持ち合わせていないせいで,勝手な思いこみをするようです。何を聞いているのか,何を考えているのか,どうしてそんな発想が生まれるのか,理解不能という場合には,まわりは失笑するほかありません。ただしあまりに過ぎてくると,傍迷惑になります。
 取り立てて大仰に世間の有様を嘆いて見ようというのではなく,他人の振り見て我が振り直そうということです。大人とは,単純にいえば大きな人です。コセコセとした小賢しさが格好いいという風潮もあるのかもしれませんが,性根の軽さを感じます。大人の芯とはどういうものか,静かに考えてみる必要がありそうです。

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(2006年01月29日号:No.305)