《楽しみは 時間を掛けた 質の良さ》

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 巧遅拙速。教室の後にある白板に書かれていました。立ち止まって掲示されている書類を見ていると,ひとりの学生が近づいてきて,この言葉はどういう意味ですかと指差しました。巧みだが仕上がりが遅い,拙いが速く仕上がる。二つの価値が連なることのない有様を表現しています。どちらを許容するかは状況に拠るかもしれませんが,通常は品質を上位におくので,巧遅が選ばれます。言葉としては,「巧遅,拙速にしかず」。
 折しも教室は試験期間中です。きちんと回答しているが時間が不足している一方で,間違っているけどさっさと済ませて時間を余している,そんな学生の答案が目に浮かびます。机間巡回をしながら試験用紙を見守っているときの試験監督者の感想なのでしょう。もちろん,採点をすれば巧遅の方に分があります。仕上がりということに評価の尺度があるからです。拙速はいい加減な仕事という負のイメージがあります。急ぎ働きは手抜きを生みます。構造計算の事例があります。
 ファストフードとスローフードの選択についても,旨遅拙速という言葉を創作できるでしょう。ところで,ある会合に出席した際に,昼食の時間にあまり余裕がなく,レストランでのオーダーは日替わり定食になりました。あれこれと選ぶ時間の節約と,調理時間の手間暇の節約を期待してのオーダーです。食べたいものが旨いものと考えると,旨いものより速くできるものという選択をしたことになります。敢えて拙速を選ぶ場合もあります。定食もそれなりに旨かったのはもちろんですが。
 時間に追われる生活では,暮らしの品質,Quality of Life (QOL) が低めに抑え込まれることになります。いい加減にしておかないと,心身の不健康に陥ります。面倒だからといろんなものを端折っていくと,品質のいい暮らしは望めません。じっくりと腰を据えて暮らしのあれこれに向き合うようにしたいものです。
 時は金なり。時間を無駄に過ごすことは効率的ではないという思いこみが強くなっています。そのことには異論はないのですが,無駄と思う評価基準に異議を差し挟みたくなります。例えば,余計な手間暇という無駄,あるいは無駄骨,しなくてもいいことという無駄,無駄の乱用が過ぎているように思われます。子どもを育てる時間はキャリアには無駄であるとか,家庭の団欒など何の役にも立たない無駄であるとか,議論は無駄とか,言っても無駄とか・・・。
 暮らしの品質が低下してきたことにより,社会全体の品質が低下しているようです。コンビニエンス,便利であるために無駄をそぎ落としてきた流れが,人そのものに向かってきて,優しさや温もりといったものを無駄なものとして廃棄しようとしています。そろそろ,無駄のリサイクルを考えるときが来ているようです。

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(2006年02月26日号:No.309)