《なにごとも 努力次第と 責められる》

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 台所から連れ合いの呼ぶ声が聞こえてきます。行ってみると「これ開けて」と容器が差し出されます。すっと開けると「どうして」と言いながら受け取ります。力がないのは女性だからと思っていましたが,女性の中でも力を借りているようなので,瞬発力がかなり弱いのでしょう。
 奥さんたちが夫の存在感を実感するときはふたが開かないとき,という話を耳にしたことがあります。我が家は典型的なケースのようで,喜ぶべきかどうか迷っています。無いものを補い合うのが夫婦ですから,なけなしの力でも役に立っているのなら,幸せなカップルなのでしょう。
 世の中にはいろんな力があります。シドニーに参集したオリンピックの選手は力を競い合いました。一見すると筋力の競技ですが,散見すると知力も侮れないようです。いわゆる作戦が必要になります。もちろん薬物の力はフェアではありません。その上に勝負運が被さっています。運命の女神の気まぐれが勝敗を分けることもあるようです。人力には限界があるということでしょう。
 努力という言葉が好きな人がいます。ある目標に向かって努力することは素晴らしいことです。そのためにとかく努力が求められます。うまくいかないと努力が足りないと責められます。しんどいことですね。「努力しろ 言う人なぜか 失敗者」という中学生の句があります。努力が報われるかどうかは最終的には運が左右します。それにもかかわらず,失敗の憂き目にあった人は報われなかったのは努力が足りなかったからと反省しているからでしょう。努力の過信です。努力だけがすべてではないのですが。
 目標と目的の違いが努力に関わっています。努力目標と言いますが,努力目的とは言いません。目標は人事の範疇ですが,目的は運が関与しています。矢で的を射抜こうとするとき,弓に番えた矢は的から外れた中空の目標をねらいます。放たれた矢は風任せで飛び,目的の的に近づきます。この間は人はどうしようもありません。当たるかどうかは運任せです。人が努力できるのは目標までです。
 野球のバッターはヒットを打つ目的でピッチャーの投げた玉にバットを振ります。しかし,3割打てればよい方です。バッターの努力目標は3割打者なのです。10割は努力のはるかならち外にあります。
 力に頼るのもほどほどにしないと,無駄な努力をすることになります。それが現実感覚です。何かあれば大人も子どもも「がんばれ」と言います。励ましているのでしょうが,言われる方にすればこれ以上がんばりようがない所まで努力しているときには,腹立たしくなるでしょう。気をつけてください。

(2000年11月12日号:No.32)