《楽しみは 次はどうなる 待ちのとき》

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 ゆったりと過ごすつもりが,そうはさせてくれない事情がまとわりついてきます。自分のペースがブツブツと寸断されると,今日一日何をやっているのかという思いが残ってしまい,気持ちの張りがもう一つ感じられません。気力や体力の衰えが迫っているということでしょう。集中力の立ち上がりに時間が掛かるようになって,中断されて回復している途中にまた用事が挟まってくると,結局手すきの短い時間が有効に使えません。仕方なしに集中する必要のない片付けなどの細事をこなすことに向かっています。それはそれでことは済んでいきますが,集中すべき宿題が貯まっていきます。
 また,何とはなしにバタバタとしているために,受信機能が止まっているようです。新聞は読まない,本も読まない,テレビも見ない,そんな状態です。少ない自分の時間をパソコンに向かってこのコラムを書いたり,新年度のいろんな形の案を作ったり,講演の準備など,発信機能に振り向けているからです。新しい情報や知識を仕入れたいのですが,思うに任せません。読もうと買ってきた本を手近に置いておきますが,いつまでも開く暇がないので,書棚の中に収めていく始末です。かろうじて車中に置いている一冊が,連れ合いを出迎えの際の待ち時間に数ページずつ栞が進んでいく程度です。
 4月からは,昨年とは違って大学での非常勤講師がなくなりましたので,少し時間が戻ってきます。とはいえ,しておきたいことがあれこれとあるので,ゆったりとした時間送りはできないことでしょう。連れ合いも相変わらずあれやこれやの役回りが継続しているようなので,パートナーとして陰の力になることは免れません。さらには人の輪がなんとなく広がっていく一方なので,それぞれにすることが少しずつですが増えてきます。一つ一つはちょっとしたことですが重なってくると,かなりの手間暇を奪われることになります。こちらから追い掛けていくようにしないと,気持ちの負担が出てきます。
 世間の歯車の一つとして場所を与えられていることは,感謝すべきことなのでしょう。世間の流れから外れて,勝手気ままな一歯車になって転がっていく方が楽しいのかもしれないと思いますが,それは先のこととして残しています。時期が来たらそうしなさいと天の采配が振られるはずです。預かったいのちをどのように運用するか,天が決めてくれるものと思っています。運命に従うという程ではありませんが,自然に任せています。それはそれで,どうなっていくのか楽しいことです。

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(2006年04月02日号:No.314)