家庭の窓
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ご縁があって,町の行財政改革推進委員会の会長職を委嘱され,3月に答申を済ましました。半年ほどの期間でしたが,楽しく会議を進めることができました。会議自体は慣れていることですが,協議の内容がこれまでの経験にないことだったからです。未知の分野に踏み込むときのワクワクした気持ちがありました。
会長として会議を主導する役割があります。委員会では,行政側から改革案が提示されて,それに対する委員からの意見を取りまとめて答申とするという流れが予定されます。答申という文書を書き上げることが,最終目標です。個々の意見という素材を一つのイメージとして意味のあるものにまとめる作業が必要になります。宮城谷昌光という小説家が,あるテレビ番組の中で,「小説は書くものではなくて,できるもの。造り出すのではなく,ルポルタージュするものである」と話していました。小説に限らず,文書をまとめるということに当てはまる言葉です。委員の方々にそれぞれの得意な視点から意見を出していただき,お互いの意見に触発されてさらに意見の交換が深まるのをじっと待っていました。約2時間という会議時間の中では,できていく深まりは中途までです。しかし,議論の焦点がどこに向かっているのかということは明らかになります。それを掴まえておくことが,会長としてやることでした。
ある建築家が近代建築を評して,「全体のコンセプトが先決され,部分が次になっているために,どうしても部分が疎かになる。部分の活力こそが生命力であり,建築物の生命力が失われている」と述べていました。部分としての個々の委員の意見に耳を傾け,その一つ一つを適切な場所に配置しお互いに生かしあえるように,全体を構築することが,まとめ役としての会長が引き受ける仕事になります。
答申では,提案された改革案をいったんバラバラにし,協議が進められた流れの上に配置換えをして,個々の意見を絡ませながら,全体の構成を作り替えました。改革案は広く住民に公開されるものです。委員は,最初の読み手としての立場で意見を出しており,同時に読み手の側が持つ理解のパターンに改革案を合わせるという役割を担っています。いわゆる,分かりやすい提案に翻訳するということです。小説を書く作業でいえば,読者に向けた推敲ということに当たります。
できあがった答申を町長さんに渡すセレモニーとして,二人で向き合い答申の受け渡しの様子を写真撮影することになりました。答申文書を二人が同時に手にしながら,カメラ目線のために横を向いたまま停止します。いかにもというポーズのまま一瞬ですが動作を停止させるのは,自然ではありません。なんとなく落ち着かない感じがしました。テレビ報道で要人が握手をしたままカメラの方を向く場面があり,やらせのポーズという印象を持っていたのですが,まさか同じことをすることになるとは思っていませんでした。そうせざるを得ないのかなというのが,その場での感想でした。いろんなことを経験させていただき,楽しい想い出になりました。
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