《楽しみは お互い様の お手伝い》

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 4月は人事異動の月です。いろんな社会活動団体の役員の交代も行われます。最近役員のなり手が居なくなって,前任者が居残りをせざるを得ないという事態を聞くようになりました。昔から同じ傾向がありましたが,よりひどくなっているようです。一つの対策として,何かの基準で順番制にするということも行われています。ところが,順番制があるために,団体に加入すると役員を引き受ける順番に組み込まれるといって,加入しなくなるという実態が出てきました。
 自分のことだけで精一杯という事情が持ち出されてきます。他人の世話などする暇がないと言いたいのでしょうが,実はしたくないという本心が糊塗されています。参加依頼の文章に「万障繰り合わせて」という文言を見ますが,お互い様の社会活動はその前提の上に成り立っています。自分の都合にだけ従っていたら,社会の機能は頓挫します。皆が手を携え合うことをしない社会は,廃墟同然です。
 自分のことだけにかまけているから,精一杯になっていきます。皆で社会活動を盛り上げれば,生きることが楽になります。互いに寄り添って生きることができるからです。職業という形で社会活動はしているという反論も出るでしょう。それだけのことしかしないでいて,一人前の高言はお笑い種です。仕事をしていれば社会参加をしているという錯覚は,まわりの人からは認めてはもらえません。その例が,仕事人間に降り掛かる定年と離婚の同時多発テロです。いきなり突きつけられる離別宣言に面食らうときには,後悔先に立たずという古諺を思い浮かべるしかありません。
 遠くの親戚より近くの他人。最近は少子化の結果,親戚が少なくなって,遠くも近くも頼りになってくれる親戚がいないという様変わりです。近くの他人は,かつてはつきあいのあった他人でしたが,今では赤の他人しかいません。天涯孤独の状態になっていることにも気付かずに,自分のことにかまけています。世間を赤の他人にしか見ない人を,世間は赤の他人と見返します。自分で自分の世間をぶち壊しにしているようなものです。金さえあれば人は助けてくれる,それは営業としての助けでしかありません。心安らかな生き方は無償の助けに包まれることです。
 社会はお互い様という現物交換で優しさを保持してきました。お互いに都合を繰り合わせ,できることを持ち寄ることで社会人としてのつながりを実行してきました。 役員を引き受けることも自らの社会参加資格の要件です。折角仲間入りの機会が訪れたのに,逃げていては恥ずかしいことです。自分を大切にすることなのに,そうは思えないのなら仕方がありません。そういう人だと思われて,それなりのお付き合いをしてもらうことです。
 身近な人との結束が弱くなるのと反比例して,社会のカビが蔓延してきました。悪質業者や振り込め詐欺,痴漢や万引き,通り魔などが蔓延りやすいのは,社会が不健康になっているからです。そのことに気付いた人たちが,身近でできることをしようと行動を起こしています。何処まで社会の健康が回復していくのか,できることをしながら,楽しみに見届けてみましょう。

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(2006年04月23日号:No.317)