《楽しみは 苦労のあとの 和やかさ》

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 1羽のカラスが耕された田圃をトコトコと歩いています。口を半開きにしてキョロキョロとまわりを見回しています。数メートル先にいる真っ黒の姿を見ていると,思いの外に大きいなと感じます。これから日射しが強くなると,白い服に着替えたくなるだろうな,なんて想像しますが,着替えたことのないカラスには,そんなことは思いもしないことと考え直しています。経験したことがないことは,選択肢には上がりようがありません。
 お年寄りが尊敬される背景には,その経験の豊かさがあります。経験の豊かさは,どんなメリットがあるのでしょう。選択肢が豊かであるということです。何かの壁に出会うとき,進むべき道がたくさん思い浮かぶのです。修羅場をくぐってきた中で,見えにくい解決の道を探り当ててきた積み重ねがあります。若い人は経験の少なさのために,すぐそこにある選択肢が見えません。経験者の「騙されたと思ってやってみなさい」という助言は,その辺りの事情をよく表しています。
 若いときの苦労は買ってでもしなさい。それは生き方の豊かさを手に入れる着実な方法だからです。可能性を広げる最も確実な方法なのです。よく言えば苦労は宝探しの苦労と同じです。楽して暮らそうという抜け駆けの道は,行き止まりになっています。分かれ道を見抜く力がない旅人はまやかしの道に迷うのが常です。苦労をしているときはそんな気持ちの余裕はありませんが,あとで大事な経験であったことを知るでしょう。苦労をしなかったら,そのことが後悔の種になります。若いときもっと励んでいたら,人はその手の後悔をたくさん持っています。
 耐える,諦めない,継続する,我慢の勧めが処世訓に織り込まれていますが,それは苦労が良質の体験に発酵するための待ち時間だからです。始めチョロチョロ中パッパ赤子泣いても蓋取るな。ご飯の炊き方と同じで,蒸らしの時間がないと美味しさが醸し出されません。苦労を続けていると,人に風格が出てきます。そういったことをダサイと切り捨て,飾り物で風格を装うというお手軽なやり方では,小雨のような他愛のない試練で無惨な結果に至ります。
 豊かさは人を堕落させるという歴史の教訓があります。豊かさは苦労を排除し,結果として選択肢を相対的に狭めていきます。豊かさは選択肢を増やすはずという通説と逆ですが,実は人は堕落するという性質を持っており,豊かさはその堕落と直結する選択肢を肥大にしていきます。必要以上に食べ込んで太ってしまうのです。体型の美しさという選択肢を持つことで,必要な食を削減しすぎます。生きるということとは無関係な選択肢を抱え込むのが豊かさの副作用です。
 苦労すれば人の温もりや冷たさに敏感になります。その感性が生きていく上では大事なことになります。豊かさを苦労の結果として手にする分にはいいのですが,苦労知らずに豊かさを手にしてしまうと,豊かさに振り回されて,自らの心の闇に吸い込まれかねません。苦労している内が一番楽しいのかもしれません。

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(2006年05月07日号:No.319)