《楽しみは いただく情報 生かすとき》

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 個人が知り扱える情報はたかがしれています。知らないことは尋ねることです。人には何でもないことなので,気軽に教えてもらえます。そんなことも知らないのかと思われることを恐れる必要はありません。ある事柄についてまとまった文書類を組み上げようとすると,細部の情報が必要になります。そんなときは,未完成のままで提示して,空欄について衆知を集めるようにします。そのための打合せとか会議を重ねていけば,徐々に完成していきます。大事なことは,何を知らないかということを明確にすることです。分からないことは聞くといっても,何が分からないかをはっきりさせないと聞きようがないからです。
 一般的なことで,辞書類を引けば分かること,インターネットで検索できることは,探せば事足ります。しかし,特殊なことは当事者に聞くしかありません。例えば,業界特有の情報,人間関係が絡む情報など,部外者には読めないことがあります。精通している方に教えを請います。一言に精通している方といっても,その方に辿り着くまでの情報も必要になります。誰に尋ねればいいのかという質問を繰り返すことになります。
 ところで,情報通になるにはノミニケーション,つまり宴席のつきあいがいいという通念があります。特に本音を掴むには絶好の場となっています。そのことは十分に承知しているのですが,あいにくとアルコールに弱いので,つきあいに精一杯で,情報を集める余裕がありません。その弱点があるために,多少とも本音の部分に関わる内容には格別の気を遣います。本音に逆らうことになると,門前払いという扱いに見舞われて,目的の達成ができなくなります。
 総論賛成各論反対,その壁を突き抜けるのは大変なことです。表向きは反対できないが,裏で足を引っ張るという嫌みな対応を引き出さないように,歯止めを掛けておく必要があります。褒められたことではありませんが,そこには権威といった虎の威も役に立ちます。御印籠があれば文句なしですが,なかなか持たせてもらえないのが難点です。それに近いのがお墨付きでしょうか。最も署名してくださる方の力によります。
 以上は他力本願の部分ですが,もちろんそれだけではありません。自力本願がなければ,やり甲斐にはつながりません。できない部分は助けてもらいながらも,本質の部分は自前で作り上げるのが責任の果たし方です。いただいた情報をきっちりと生かすことが礼儀になります。それができたと思えるとき,達成感が湧いてきます。そうでなければ,伝える文書が伝わるものにはなりません。これでどうだ,そんな自信を込められたとき,苦労が楽しみに変わっていきます。

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(2006年05月14日号:No.320)