《あれがない これもないから はじまらない?》

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 物事をはじめるとき,「一からはじめる」と言います。1からはじめて2,3・・と数えることからの類推でしょう。川辺に立っていると,魚が泳いでいるのが見えます。何匹いるかなと数えます。魚がいるから数えられます。もしいなかったら数えることはできません。物事が始まりません。
 子どもたちが「○○が無かったから」と言い訳することがあります。遊びでも,すべての材料が揃っていないと,はじめられないと思っています。ゲーム機がないと遊べなくなっています。無ければ代わりになるものを探し出してくるという発想がありません。
 近くのコンビニに食パンを買いにやりますと,「売り切れて無かった」と手ぶらで帰ってきます。「他のパンはなかったの?」とたずねると,「あった」と言います。別のお店に廻ってみるとか,別のパンを買ってくるとか,臨機応変に対応することができません。
 言われたことしかできないと叱っては,しつけを放棄することになります。ここからがしつけの始まりなのです。無かったらどうすればいいのかを教えてやらなければなりません。考えるというしつけです。これが創造性の発端です。「必要は発明の母」という言葉は,無いものにどう対応するかという問題を考えるから創造が生まれるという意味です。
 一からはじめるのは簡単です。すでに材料は揃っているからです。物事は0からはじめるところに真髄があり,そこにこそ歓びが埋まっています。見ず知らずの二人が縁あって結ばれ,無からはじめた暮らしによって夫婦になり,やがて子どもを生み出します。無から命を生み出す歓びがあります。
 ところが現在は,すべてを揃えた上で結婚し,余裕ができたら出産を考えます。環境が整っていないから子どもは産まないという発想があります。一からはじめようとしているから,始まりません。暮らしや人生を無から創造しようとしていないので,結婚しているという喜びもなく,破綻を待つだけです。0からはじめてみればいいのです。そこで「考える人」になれますし,楽な道ではないからこそ人生の歴史を自分で書き上げることができます。そんな人が増えれば社会はよい方に変わっていくはずです。
 昔は「この人とだったら一緒に苦労できる」と0から結婚していたので,少しのことでも幸せになれました。今は「この人とだったら幸せになれる」と1から結婚しているので,少しのことでも不幸になります。どちらが幸せなのでしょうか?

(2000年11月19日号:No.33)