《楽しみは 管理の姿 見比べて》

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 開設している掲示板に,いかがわしいサイトへ案内する書き込みが連日続いています。同じものが数通飛び込んでくるので削除する程度で済んでいますが,場違いなものを書きこんでくる不作法さは辟易します。メールにも男を買いたいといった趣旨のものが数知れず飛び込んできます。サーバで削除の設定をしていますが,ブロックの網を手を変えて忍び込んできます。ネット世界のいかがわしさに慣れっこになってくるのが,どうにも嫌な気分です。
 家のまわりにも名も知らない草が蔓延ってきます。名を知らないのは不勉強のせいで,草にすれば新天地開拓の意気込みに溢れているだけです。家を守るといえば大げさですが,みっともない見かけにならないように,適当に草取りもしなければなりません。いわゆる管理するということです。自然に囲まれて暮らすのがいいという考え方もありますが,全くの自然の中では人は暮らせなくなっているようです。うっそうとした茂みの中で暮らすと,おそらく変人扱いをされるでしょう。虫などの害をまき散らして傍迷惑になるといったことも出てきます。片付けられた自然しか許されないのが居住空間です。
 管理とは,望ましいものだけを残し,望ましくないものや想定外のものを排除することです。雑草を愛でる気がなければ,出ていってもらわなければなりません。ご親切な出会いの案内であっても,いかがわしいと感じるものであれば,勝手ながらも余計なお世話と駆除するしかありません。玄関払いをするということでも,なにがしかの手間を奪われて傍迷惑ですが,必要な管理の手間と思わなければいけないのでしょう。選ぶのは管理する側なのです。
 家を出たところにある社会もまた管理された空間です。そこではマナーという管理規則が了解されています。ポイ捨てがダメといったことです。ところで,京都では鳶が人の手からパン類を奪っていくという出来事が報道されていました。パンを空中に放ると鳶が飛翔しながらキャッチするので,可愛さや面白さからパンを与えている人がいます。ところが鳶は人が持っているパンは自分のエサだと学習し,手から勝手に奪っていくようになったということのようです。鳶には人のものを盗るという理解は不可能です。人の好意が自然界を変えて,逆に禍として人に振り返ってきます。自然とは棲み分けをしなければなりませんが,その接点での注意深い管理が必要です。関わりを持つ場合は,特別のことに抑え込んで,日常的なレベルにまで高めないことです。常日頃パンをやりすぎたから,自然が変わってしまったのです。
 外からの働きかけを抑制する形の守りの管理と,外に働きかける際の抑制をする攻めの管理と,二重の管理があります。人がする管理には強弱があり,さまざまな状況が生まれます。日々の暮らしぶりの中で,どのように身を処しているか,管理の有り様が個性となって現れます。人や世情を眺めながら,自らの管理の体を見つめ直すのも楽しみの一つと思える年代になったようです。

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(2006年05月21日号:No.321)