《楽しみは プロの姿に 学ぶとき》

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 NHKのプロフェッショナルという番組をたまたま見ていると,ライティングデザイナーの内原智史さんが登場していました。いくつかの言葉が印象に残っているので,話材にさせていただきます。「手間を掛けたものほど伝わる」。ああでもないこうでもないと思いを巡らしていくプロセスがあってこそ,照明が人の気持ちと共鳴を起こしうるということでしょう。例えば,非合理的な仕掛けを組み込めば,そこに人の手が関われることになり,参加という行動に伝わっていきます。
 「本質を照らす」。平等院鳳凰堂の照明では,幾星霜を経てきた時の流れの中にたたずむという本質を,悠久の連想をもたらす水の流れと共鳴させた照明が実現されました。光に照らされた世界から見る人に伝えられるメッセージ,そこにどのような本質を込めることができるか,それがプロフェッショナルの真髄なのでしょう。照明されるものと照明を見る人の間に優しさを忍ばせようとする仕事ぶりから,学ぶことがありました。
 「誰も思い描けないことを描き続けること」。その目標を精魂込めて追い求めることができるとき,本物の仕事が現れてくるようです。当たり前に考えることから始めて,その先にある空白の領域に足を踏み込むようにします。何処に足場があるか,手探り足探りをしますが,本質の瀬が必ずあると信じていれば,見つかるでしょう。それは考えるという営みでは辿り着けない所です。あれこれと自由に思い描いていると,ふっといくつかのことが結びついて,新しい何かに結実します。よくいわれることに,答のほうからやって来るということがあります。人智を越えた経験なのでしょうが,そのようなことが一心不乱の先にあるようです。
 ところで,もう一つのことがあると思われます。描き出されたことが求めていた答であると見定める眼力です。それがなければ,単なる思いつきでしか無く,正真な本質は手に入りません。その眼力の有無がアマチュアとプロフェッショナルとの違いでしょう。
 プロフェッショナルというカタカナ語が今風なのでしょうが,年配者には職人魂と言ったほうが馴染めます。いずれにしても,その境地に達するまでには相当の苦労を重ねています。その苦労の道が若い人に敬遠されている風潮は気がかりです。一人前になってもそこからさらに先の見えない別の苦労が続きます。苦労を逃げていたら,プロフェッショナルにはなれません。日本の先行きを心配するような大それた立場ではありませんが,プロフェッショナルが健在であるようなので,楽しみにしておきましょう。

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(2006年06月04日号:No.323)