《楽しみは 触れ合うことで 変わること》

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 議論をしていると,思ってもいなかった方向に展開することがあります。三人寄れば文殊の知恵の実体験です。もっとも必ずしも文殊の知恵となっているわけではないのですが,疑似体験ではあります。これだから議論は楽しいものです。ちょっとした一言があれよあれよという間に違った形に結びついて,一つの結論が導き出されていきます。ときには,期待したものではないこともありますが,それなりに共通認識に至った結論であれば,大切にしなければなりません。
 人生は人との出会いで紆余曲折をします。最もよい例が,連れ合いとの出会いでしょう。別の人と出会っていたら違っていたはずです。歴史にイフ(if)が無いように,人生にもイフはありませんが,イフと言われる分岐の局面が積み重なっていきます。仕事にしても上司や部下,顧客との出会いが大きな要因になります。人との関わり合いとは,不思議なものです。最近のように出会いがあるようで,実際は出会いに対して殻を被っているようでは,お互いに影響し合うことができません。自分を守ろうというつもりでしょうが,人生を自分ひとりで組み上げることはとても苦しいことになっていくでしょう。自分の可能性を引き出すきっかけがつかめないからです。人との関わりの中で,触発されるという貴重なチャンスを失っていきます。ひとりでもがいても,堂々巡りをしてしまいます。結果として閉じ籠もるしかなくなるのです。
 人は人の中で磨かれていくということです。出会いの中にはよい出会いもあればわるい出会いもあります。どちらも必要な出会いです。よい出会いだけでは,バランスを失うからです。受容と拒否という対応が必要ですが,その使い分けをする感性を訓練するためにさまざまな人と出会う経験が役に立ちます。そのプロセスを「世間で苦労する」と表現しています。
 話を元に戻してみると,議論していて困るのは,持論に固執して,展開を阻止する意見が出てくることです。時には振り出しに戻ってしまうことさえあります。議論は了解を重ねていき,着地点を見つけていく作業です。そのためには,それぞれにシフトをすることが求められます。もちろん間違ったことにシフトするのは避けるべきであることは当たり前です。議論の大事なことは,結論を出すということです。しかし,結論を出せない論点を持ち込まれるのも困ります。往々にして議論の前提を広げすぎることになるからです。多くのケースでは,取りあえずの結論となるのは仕方がありません。次の段階でさらに議論を加え修正していくことになります。
 どのような結論でも,今の時点でという但し書きが付いているものです。人も同じで,今の自分ということであり,明日はまたより良く変わっていきます。思わぬ方向に変わることがあるから楽しいと受け止めて,触れ合いを続けていきます。

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(2006年06月11日号:No.324)