《楽しみは 二の線の中 溌剌と》

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 食品には賞味期限が表示されています。毎日買い物に出かけるわけではありませんので,まとめ買いになります。いきおい数日おくことになります。開封の時に,賞味期限の日付を確認します。書いてなければ気にせずにちょっと口にして,臭いや味で自己チェックをしてきたものです。賞味期限は美味しいと食べる期限ですが,消費期限と書いてあると,過ぎたときに気にしてしまいます。自己チェックを信用する場合もあり,廃棄という場合もあり,判断に迷います。販売する側の保証期限という意味合いがあるのかどうかよく知りませんが,いったん購入すればどういう扱いをするかは消費者の側が自己決定すべきことです。
 野菜など生鮮食品は冷蔵庫という保存器のお陰で日持ちをさせる暮らしが当たり前になりました。それでもいざ調理の時に包丁を入れると,内部がわるくなっている場合もあります。買ってきたばかりなのにというときには,こんなものを販売していい加減なお店という判断を下すことになります。生ものには当たり外れがあるという暮らしの知恵を再確認しています。もちろん,お店に文句を言いに行くべきであるという選択もあります。
 ところで,人にも賞味期限があるのでしょうか? 下世話な話では,食べ頃という年齢がありました。娘十八番茶も出花。今ではそんなことを公言するとバッシングの的になります。働き盛りという表現もあります。人生には旬があるようです。となるとやはり,社会的な消費期限が想定され,定年という期限が了解されています。実務的な約束事であり,単に年齢だけで中味の衰えを測ることはできません。とはいえ,相撲の世界で見られるように気力体力の衰えを自覚したときには,ご隠居という第一線を退く風習を自らに適応すればいいでしょう。
 第一線を退いても,そこでまったく無為になることではありません。第二線があります。そんな言葉は聞いたことがない! そのはずです。ここで勝手に造語しているからです。第一線とは金銭の絡む世界ですが,第二線は違います。お金が介在しない社会的な活動があります。一線で培った能力をそのままに生かすこともできます。無償の活動ですが,その総体が社会の品格である文化を形作ります。芝居で言えば,主役を退いても,風格のある脇役が不可欠であるのと同じです。人として用済みになったわけではなく,第二線の賞味期限が発生します。
 第二線のまっただ中にいて,暇を探しあぐねている今,後生を引き立てながら,時代の文化的な背景を描く一端に参画できている充実感があります。年寄りの冷や水と揶揄されているかもしれませんが,本人は至って真剣に楽しく取り組んでいます。

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(2006年06月25日号:No.326)