《楽しみは 日々に学んで 育つこと》

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 自分を大事にする。それが今の時代のトレンドになってきました。就職しても,自分に合わないといって辞めていきます。結婚しても,自分の中に意味を見つけられなくて,離婚していきます。生徒は校則を守ることに違和感を覚えて,抗っています。自分というものを大事にしたいという思いは自然ですが,社会的な存在としての人間であろうとする覚悟ができていないようです。ニートという傾向も自分に合う社会が見つからないという考え方にこだわっているからでしょう。
 何かがずれているという印象が強く湧き上がってきます。どういうことなのでしょうか? 少し回り道をしてみましょう。近頃,慎みという仕草がすっかり消えてしまいました。かつてオバタリアンという言葉が登場したころから,女性の世界から慎みが消えていったようです。今,男女の性差別が糾弾された結果かどうか,概観すると男性が不甲斐なく,女性があらゆる面で元気いっぱいです。長寿の面からも生きる力は女性の方が強いと思われますが,そんなタフな女性とひ弱な男性のバランスを取るために,かつての社会では慎みというヴェールを女性に纏わせていたのではと思わされます。
 慎みは自分に少し制動を掛けることですが,もっと広く考えると,自分は未完成であるという認識を持つことです。そこで人に対するとき,社会と関わりを持つとき,至らない点を学ぶという姿勢を保ちます。自分を他に押し付けるのではなく,自分の方がより良く変わっていこうとします。つまり,自分に合う社会を見つけるのではなく,社会に自分を合わせていくという今時のトレンドと逆の発想です。そこには,自分は常に変わっていくという思いがあります。
 人は古来から環境に合わせて生きてきました。ところが,都市という人口の空間を作り上げて,快適さという普遍の環境に暮らすようになり,自分を合わせるということをしなくなりました。空間を自分に合わせてコントロールできるようになったお陰で,自分は変わらなくて済むことが普通になりました。そこに意識しないままに勘違いが生まれてきました。自分は常に変わるという感覚を失ってしまったのです。
 ちょっとした避難や注意を受けたとき,キレル人がいます。妙にプライドが高いと言えるのかもしれません。変わらない自分と思い込んでいるから,否定されると自尊心が破壊されたように感じてしまうのでしょう。至らない自分と思っていれば,改めさえすればいいのですから,より良い自分になれると受け止めることができるはずです。キレルというのは,思い上がりのせいだといえます。
 今の自分は今の自分でしかない,明日の自分がもっとよくなるために身の回りの環境から学ぶ姿勢が忘れられています。人との関わり,社会との関わりによって自分を磨いていくという生き方の楽しさを改めて思い起こしています。

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(2006年07月16日号:No.329)