《楽しみは 1が2となり 億となり》

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 用事のない休みの日に行きつけのスパーマーケットに買い物に行きます。冷蔵の必要な食材もあるので,炎暑の中では,すぐに帰宅して冷蔵庫に収納する必要があります。買い物帰りの途中で外食することができず,昼食の弁当を買って帰ることがあります。そんなとき,レジ係の方に「お箸は何本ですか?」と尋ねられると,連れ合いは「3本下さい」と答えます。自宅で食すのですから,自前の箸で間に合うのにと思うのですが,割り箸を必ずいただいて帰ります。案の定,自宅では割り箸は使われません。別の日に弁当を持参するまで,取って置かれます。節約といえば言えますし,しっかりしているのでしょう。
 テレビを見ていたら,日本で一年間に消費される割り箸は248億膳だそうです。見当もつきませんが,日本人一人が一年に200本の割り箸を使う勘定になります。そんなには使ってはいないので,誰かが代わりに使ってくれているのでしょう。
 1膳の価格は日本製が4,5円であり,中国製が1円だそうです。その中国製の割り箸が輸出禁止になるそうで,食堂関係の職種の方は心配だということでした。中国では鳥インフルエンザなどの恐れから割り箸の需要が急速に増えて,一方で森林の保護も絡んでいる事情のようです。
 割り箸を作っている日本の職人さんが紹介されていましたが,割り箸は柱などを削り出して残った端材を利用して作られています。家内事業規模なので,大量には供給できないようでした。ある食堂では,プラスティック製の箸に切り替えて,その都度洗って使うようにしていました。もちろん,洗う手間と暇が増えますが,使い捨ての費用が嵩めば致し方ないでしょう。たかが割り箸ですが,みんなという数の多さが掛けられると,膨大な物量になります。
 社会的な物事を考えるとき,この量という概念を抜かすと,判断を誤ります。一人ひとりがちょっとぐらいと思うことでも,社会規模で見ればちょっとでは済まなくなります。特に環境問題などは,一人ひとりの気遣いが集まっていかなければ,規模としての効果は期待できません。身近なことでは,一匹の犬猫の糞といっても,数が重なると被害は甚大になります。
 日常的には,数量という概念を使うのは金銭関係が主ですが,あらゆることに数量は付随しています。社会は多くの人が集まっているということを知っていても,ついその人数を物事に掛けて量を見積もることを忘れがちです。構造計算の偽造事件でも,どれほどの人に被害が及ぶかという数量の計算がされていなかったことが致命的です。自分1人だけ,それは社会的な物事を考える際には最初の致命的なエラーです。当然,結論は意味がなくなるだけではなく,実害をもたらします。
 割り箸の1膳や2膳,どうということはない。その考え方が蔓延したとき,トータルを想定することができず事態はとんでもないことになります。数量を忘れた議論の脆さに対する反省が,例えば選挙公約ではマニフェストとなって登場しましたが,まだまだ一般的な常識にまで浸透していないようです。
 数字に強くならなければ,議論も軽くなるということです。割り箸の話題から想定外の展開に話がつながっていくのも,また楽しいことです。

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(2006年07月23日号:No.330)