《ぐれてやる 息巻く子どもに 惚けてやる!》

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 連れ合いは一年に一度程度しか出てこないゴキブリを見ると,逃げて廻りながら私を呼びます。その声を背中に聞きながら,ついゴキブリを追いかけて叩いてしまいます。好きになれないとはいえ,ちょっぴり気が咎めます。野生の動物を観察するテレビ番組を見ることがありますが,猛獣が草食動物を襲う場面になると,連れ合いは目を逸らします。
 蝶がクモの巣にかかってもがいています。かわいそうにと思いますね。男の子と一緒にそれを見ていたお母さんが,蝶をクモの巣から離して逃がしてやりました。すると男の子が「クモがかわいそう」と言いました。せっかくの獲物を取り上げられたというわけです。自然を愛するということは,自然を受け入れることですから,余計な手を出してはいけなかったのでしょう。
 弱肉強食という自然を残酷と思うのは,人間の見方です。その優しさが人間らしさなのでしょう。襲われる小動物は群のなかでも弱いものであり,増えすぎることへの歯止めになると考えて,気休めにすることはできます。それでもすっきりはしません。
 猛獣は獲物をまず失神させます。それが強者としての作法かもしれません。意識があるまま噛みつかれたら,それこそ残酷です。そこに少しの救いがあります。
 ところで,連れ合いは惚けたくないと言っています。確かに周りの家族に迷惑をかけるので,ポックリ逝きたくなります。長くはイヤですが,直前には惚けた方がいいかなと思っています。今日のことを忘れ,昨日のことを忘れるようになり,時間の観念が失われていくようです。ということは,明日のことも考えられなくなり,やがてくる終わりも感じなくなるということです。そうだとしたら,苦しみや恐怖から解放されるのではないかと期待できるからです。
 案外惚けるのは失神と同じ効用があるのではないでしょうか。それは自然の温かさだと感じています。不安や恐怖は,これから起こるであろうことを想像することから生まれます。どうなるか考えなければ,煙のように消えてしまいます。今日のことしか考えないことを極楽とんぼと言いますが,確かに不安はないので気分は極楽です。
 子どもに将来のことを考えてあれこれ心配をぶつけるのなら,大人は自分の将来である老後の心配をすべきです。そのために老人から学ばなければなりません。勉強は子どもの特権ではないのです。

(2000年11月26日号:No.34)